レモンイエローの窓

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食への執着心と給食完食党

ニュースで、給食の完食指導は未だに一部で行われている、と度々目にしている。

残念でならない。

食べ物や完食することの大切さを教えることと、完食を強制することはまったく別の問題だと思う。

私なりの主張としては、

①トータルで残さなければOK。自分の食べられる分だけ配膳してもらう。

小食の子は少なめに盛ったり、苦手なものはトレードする。

②教員が「本当に」担当児童の好き嫌いをなくしたいと思っているのなら、パワータイプではないやり方を考える必要がある。

北風と太陽に例えるならば、完食指導は北風だろう。

そういう教員が「本当に」取り組むとしたらかなり大変だろうから、大義名分掲げず1つ目のルールに則って淡々と給食をこなせばいいと思う。正直、食育は本来家庭でやるべきものなんじゃないかな。うちはそういうのなかったけど。

③残飯の量で給食の味付け評価をするのをやめる。食べれば分かるじゃん。

④私が当時受けた小学校の完食指導に感謝したことはまだ一度もない。効果もない。

好き嫌いを克服したのは、少なくとも中学生のときに1つ。あとはすべて大人になってからの、私自身の努力の結果。

 

日常的に完食できない理由にはアレルギーと小食と好き嫌いとがあって、私は「好き嫌い」が理由。

理由が理由だから尚さらあたりが強い。

肉、魚介類。食育と称して母親が幼い私に「これは牛さんだよ!生きてたんだよ!かわいそうだね~」ってやってから。おどすような、責めるような口調。大泣きして、食べられなくなった。子どもが泣いているのを見て笑うタイプの人間。生涯で受けた食育はそれだけ。

別にベジタリアンの思想を持っているわけじゃないのだ。卵もバターも食べる。

ダイレクトに「命」が伝わってくる肉や魚介類がしんどいのだ。だから、肉でも魚でも出汁は大丈夫。あまり考えたくはないけど。

理屈じゃないから、ここで「植物だって生きてるじゃん」って言われても効果はない。

マグロ解体ショーはイベントになるのに、牛の解体ショーはない。当然ながら人間の解体ショーなんてやったらアウトである。生で食べるか否か、か?イルカやクジラ漁の批判をする国の人々は、同じ国の人々がスポーツハンティングすることには何も言わないし、そもそもあいつら肉食ではないか。狩猟民族だし。私にはどれも同じである。

 

お野菜は大好きだけど、ねぎ、たまねぎ、茄子・・・香味野菜の強い香りと、ぶよぶよぐにゅぐにゅした食感が苦手だった。

先に言っておくと、好き嫌いがないに越したことはないし、完食するに越したことはない。無駄がないからね。

いただいた命は「いただきます」以上のことはできない。

だから、食べ物に感謝する気持ちは大切だと思っているし、捨てればいいなんて思っていない。

大人になった今でも好き嫌いの克服は継続中だし、「なるべく」食べきる。

ひき肉、ハンバーグ、安っぽい加工のハムやソーセージは食べられるようになった。海老と牡蛎も。茄子は今では好物だし、じっくり火を通せば玉ねぎも食べられる。

でも、どれも小学校の完食指導の成果じゃない。

 

強引に何かを食べさせられた一番古い経験は、保育園のとき。

担任に捕まえられて、黄色味を帯びた、プラスチック製のマグカップに入ったぬるいミロを強引に口に運ばれたことがある。

当時の私には、そのマグカップの色と、ミロのあの茶色っぽい、すごく薄い紫に見えなくもないあの色がおいしそうには見えなくて、抵抗した。

ミロが服にかかって、担任は諦めた。

あ、ちなみにココアは大好きです。初めて飲んだの小2くらいのときだけど。

 

真の苦痛は小学校から。ランドセルになってすぐ始まった。

嫌いなものがあって、食べきれない。

担任は食べきるまで座ってろ、という。残すのは絶対にダメだ、と。

昼休みが過ぎ、掃除が始まって、確かその日は午後の授業はなくてみんな帰った。

教室に一人だけになった私に、担任は大きなため息をつきながら、残していいから給食室まで自分で持っていけ、と言った。

あのときの担任の、睨みつける目。薄い一重のまぶたと充血した目。

たぶん人の顔を見れなくなったのはこのときくらいからだと思う。

持っていくと、給食室の人が驚きながら回収していった。すごくみじめだった。

4月にして早くも、学校に行くのがいやだな・・・と思った最初の出来事。

 

机の上の給食とにらめっこ状態のメンバーは他にもいた。

泣いている子がいたし、無理やり口につめこまれて吐いた子もいた。

私は同じことをされると、吐くというよりえずくのでそもそも飲み込めない。私の胃袋には入らない。

デザートだけ食べようとしたら、「メインを完食せずにデザートだけ食べるとは何事か」と取り上げられた。

今なら、「給食費払ってるのはこっちだぞおおん!?」って間違いなく言えるけど、当時の私は周りの顔色をうかがってすぐ合わせようとしていたし、「学校」の「先生」の言うことにノーと主張できなかった。というか小学生でそこまでしている人は見たことがなかった。

嫌いなものが食べられない。デザートも食べられない。昼休みはどんどん消えていくし、休みたい。

結局、6年間の小学校時代でデザートまで到達できたのは2回だけだった。

ほぼ毎日、「先生、残していいですか」って持っていくのがすごくいやだった。

 

給食に梅干しが出たことがある。

今でこそ自分で作るくらい好きな梅干しだけど、当時は強すぎる酸味で嫌いだった。

完食しろ、とにかく食え、というプレッシャーに耐えれらなくて、机の中に隠して悲惨なことになった。

よくわからないプリントと押しつぶされた梅干しだったもの・・・

 

小学3年生のとき、隣のクラスの担任は(当時にしては珍しく)完食指導をしない先生だった。

隣のクラスの子に、「先生は残すなって言わないし食べきれなかったら残してもいいんだって」って聞いて驚いた。

音楽が得意の、いつも優しい笑顔で人気のおじさん先生だった。

私もそっちのクラスに行きたかった。このときの私の担任は、細くて身体が尖った印象の、神経質な人だった。

デザートにプリンが出たとき、やっぱり私はメインを完食するまで食べるな、と指導された。

そのプリンをすごく食べたかった。

時間が来て残すことになったとき、こっそりプリンを給食着袋の中に入れて持って帰ろうとした。それを見たクラスメイトが担任に「報告」した。

目を三角にした担任がとにかく火が付いたように怒っているのを覚えている。

でも、なんて言われたのか覚えてない。

あのときの担任の、「指導」の内容は何だったんだろうか。

見聞きした中では、食べきれなかったパンやら牛乳やらを持って帰る、休んだ子の分を届ける、みたいな文化のある学校もあったようだけど、私の通っていた学校にはそういうルールはなかった。

ずっとデザートを没収され続けて、「メインを完食して初めてデザートを食べる許可が得られる」という担任側の主張と、完食至上主義に違和感を覚えたのはこのころである。

食べ物を大切に、アフリカ(に限らずどこにでも貧困層はいるのに、決まって引き合いに出されるのはこの国)には恵まれない子どもたちがいます、戦時中は食べ物がありませんでした、という主張はごもっともである。

ならば、完食しデザートを食べる許可を得た他の子たちにあげるでもなく(まあ目の前で他の人にくれられるのはそれはそれで非常に嫌だが)、没収された私の分のデザートはどうなるのか。

恵まれない子どもたちの口に入るのか。時空を超えて飢えた人の口に入るのか。そうできるのならぜひそうしてくれ。

給食室の人たちの誰かが持って帰るのか。私が持って帰るのと何が違うのか。

廃棄か。

完食とは、何か。

 

給食は、子ども一人分の適量(参考値)で配られる。

小食の子も、たくさん食べたい子も、同じ量で配膳。

好き嫌いで完食できないから、私には量が足りなかった。

肉も魚も、メインのおかずだから。

でも、当然おかわりも「権利がない」。おかわりというか、食べられるものを多めにもらうのもダメ。

小食の子が残している、私が食べられるもの。

足りないおなかの視線の先。

おなかが満たされていないから、すぐおなかが空く。

空腹に、不安を覚える。

学校から帰って、家に何かあればすぐにそれを食べる。でも、だいたい何もない。

小さな町に新しくできたコンビニに走る。定価だからお小遣いなどすぐになくなる。スーパーなどはない。

食への執着心がでてきたのはこのころだと思う。

食べ足りないから、食べられるものを、食べられるだけ、食べられるうちに、食べたい。

あの子の残したごはんが食べたい、パンが食べたい、サラダなら食べられる・・・

 

ほどなくして、たまに尋常じゃないほどの食欲が出るようになった。

成長期に突入していたのだろうか。

たまに家族で外食していたラーメン屋さんでは子ども向けのメニューはなくて、いつも量的に完食はできなかったのだけど、このとき嫌いな一部の具を除いて完食した。

あれは五目ラーメンであった。

別の日には、ひき肉はほんのちょっとなら食べられたから、餃子定食も完食。

一般的な、大人一人前である。

家での夕食時にも、ごはんを何杯もおかわりするようになった。

好き嫌いをなくすような食育をされたことはない。

かといって私の好き嫌いだけに合わせた料理が出てくる、というわけでもない。

好き嫌いがあるだけで、料理自体にこだわりがあるわけではなかったから、おみそ汁とお漬物があれば十分だった。今でもそれでごはんおかわりしちゃうもんね!

複雑でよくない家庭環境。ネグレクトと過干渉のハイブリッドな親だったから、私にどんな好き嫌いがあって、学校でどういう対応をされて、私がどう感じているか、そういうことには全く興味がなかったのだから仕方ない。

炭水化物をよく食べ、少しずつ太っていった。

 

小学6年のとき。やっぱり鬼みたいな担任だった。

図工の時間に描いた絵に、「それは変だ。人間はこういうふうにはならない」と言って、強引に歯を描き足したりするような人。

給食の時間にクラスメイトが、「それ嫌いなの?俺それ好きだから交換しよう!」と言ってくれたことがある。

神様の声に聞こえた。

お互いの好きなものと嫌いなものがうまくトレードできて、残さないですむね!と笑顔になったら・・・

何やってるんだ!もとに戻せ!と大きい声で怒られた。

そのクラスメイトの、ちょっと切ない顔を覚えている。彼は何も悪くないのに。

私のおぼんに返される、私の嫌いなもの。

何が何でも、配膳された状態で本人のみが完食しなければいけないのか。

そこにどんな意味があるというのか。

 

卒業式で着るためのフォーマルな服を買いに行ったとき、160サイズのセットアップのスカートが入らなかった私を見て、「はあ!?なんで入んないの?デブじゃん!」と母親に口汚く罵られた。

好き嫌いの結果炭水化物でおなかを満たしていた私が悪い。

私のことを何も見ていないのだから仕方ない。

家庭とか子育てってそういうところにあるんだろうけど、全員がまっとうな親じゃない。小学生なんて、本当は家庭でフォローすべきことなんだろうけど、あるべき家庭の姿を私の親に説いても仕方ない。結局好き嫌いも食べるものも私自身の選択の結果。

でも。

あの母親に、私をデブだと罵る権利ってあったのか?

あの後母親は自分を顧みたのだろうか。いや、やってないな。ここまでの結果を見てみれば。

ま、運が悪かったってことだな。

 

中学生になって初日の給食。

同じように「先生、残してもいいですか」と申し訳なさそうに言ったら、「え!?ああいいよいいよ」って驚かれながら許可を得た。

気づいた。

給食完食指導からの解放だと。

心が震えた。

あのみじめさや苦痛をもう味わわなくて済むのだと。

 

思春期に入ったクラスの女子たちは、ダイエットと称してほとんど食べない。

今までの不足分を取り戻すかのように、余った分を食べるようになった。

カレーは肉と玉ねぎをうまくはじけばもっと食べられるし、嫌いなものの入っていないサラダは好物だった。おみそ汁だっておかわりできたし、パンをもう一つもらうこともできた。

小、中共同のあの給食はおいしかった。

転校してきた子(今の夫)は、「前の学校の給食もおいしかったけど、こっちの給食もおいしい」と言って、あまり教室に来なくなってからも給食はよく食べに来ていた。

教室に行けなくなった私のいる保健室に顔を出して様子を見に来る。私が「今来たんだ」って声をかけると、「おう!給食食ったら帰るわ!」と言って戻っていく。なんかすげえヤツである。

あとで聞いてみると、「給食費払ってるんだから給食くらい食ってこいって言われた」だって。さすがカーチャンである。

 

ちょっとコロコロしていた中学生時代。

高校生になると、学校が遠くて朝早く起きなくてはならなかった。

朝ごはんがないから、買う。

すぐおなかが空く。何か食べる。その繰り返しでどんどん太っていった。

部活をやっている男子高校生ばりに食べる。運動なにもしてない私が。

 

大人になって、生活に困ったこともあった。

でも、「食べるものがない」だけで「嫌いな食べ物は目の前にある」わけじゃないから、やっぱり好き嫌いゆえの貧困ではない。

例えば食糧難になったとして、肉と魚介類とねぎしか口にできないとしたら?

何とか食べるかもしれないし、分からないけど、生きることを諦めるかもしれない。

何度か諦めたことがあるからあまり生に執着がないし、かといって人生の中で今が一番楽しいから前向きではあるけど、嫌いなものを食べてでも生き延びてやる、という生きる激情みたいなものがあまりない。

食べれないものしかないなら、しょうがないんじゃない?って。

そのときになってみないと分からないけどね。

より「食べられるものへの執着心」が強まったのはこのとき。

 

ダイエットに成功して標準体重を手に入れたこともあった。

あのときにうまくいったのは、掛け持ちで働いていてとにかく忙しかったから、かもしれない。

振り返ってみると、あのときは、食べ物をおいしく感じなかった。

食への執着心が、ほんの少し薄れていた期間だったと思う。

人生の中で唯一、「寒がり」だった時期。

冬の時期には仕事に行くにもヒートテックに毛100%のカーディガン、厚いタイツに厚手の靴下をはいて靴用のカイロまで入れていたのが信じられない。

今は体重最高値更新中で、当時のかけらもないw

健康的にもやせたほうがいいのは確かだし、焦りはあるけど、どっちが幸せだろうか。

 

お呼ばれの席とか、人付き合いで困る、と言われることもある。

でも、パーティとか交流会とか苦手だし、付き合いで行くようなシチュエーションもないし、そこまでするくらいなら付き合わなくていいと思っているから、実際のところあまり困らない。

誘われたらどうする?と問われても、付き合いで、社交辞令で呼びたいだけなのに「あの人は好き嫌いが多いから・・・」なんて配慮しなくていいのだ。それを要求する好き嫌いの激しい人は、別の問題があると思う。

その程度の付き合いならば、食べられるものがあるなら行くし、ないなら行かない。

お店はたくさんある。交流を持ちたい人と、いろいろなものが食べられるお店に行けばいい。

 

大人になってからできた友人にこの話をしたら、「トータルで残してなければよくない?」と言われて、心の底から同意した。

食べたい人がいるならその人に食べてもらえば残さなくて済む。廃棄なんて出ない。

残飯、食品廃棄を減らすことが一番大切なことであって、苦痛とみじめさの中嫌いなものをえずきながら飲み込む必要はないのではないか。

 子どもの好き嫌いを、「本当に」なくしたいと思っているのなら、そのやり方が相応しくないとどうして分からないのだろう?

あの小学生時代の担任全員、目を血走らせて怒鳴ったり、恫喝したり、足で蹴ったり、ため息をついて嫌味を言ったり。デザート没収は嫌がらせ以外の何物でもない。

それで本当に食べられるようになる、と信じているのなら教員の資格なし。力でおどせば思い通りになると思っているということだから。

私に対する、「なんでも食べられるようになってほしい」なんて思いは伝わってこなかった。いや、当然か、ハナからそんな気持ちないから。

「完食指導」の大義名分のもと、ちょっとしたストレス発散のサンドバッグだったんだろう。給食完食党員はタチが悪い。

 

当時の担任の名前は全員、いまだに覚えている。忘れたいけど、なかなか消えない。

全員、何の好き嫌いもなかったんだろうか。

それならそれで構わない。素晴らしいことだから。

 

 でも、大人になっていろいろな人と会って、「好き嫌いのない人」は会ったことのある人の中で2人しかいなかったのが意外だった。夫と、昔の職場の人だけ。

あれだけ「完食」「好き嫌いの克服」の指導を受けていたのに、世の中嫌いなもののある人のほうが多いではないか。

牡蛎が食べられるようになったんですよ」と振ったら、その話をした人4人のうち3人は「牡蛎嫌い」。

キノコのオイル漬けがうまいと話をすれば、「キノコ嫌いなんだよね」。

タケノコを収穫しておすそ分けをしようと「お好きですか?」と聞けば「タケノコ嫌い」・・・

なんだ。みんな嫌いな食べ物あるじゃん。

しかも、残すのも私だけじゃなかった。

 

 

私には嫌な思い出しかない完食指導である。 

どうか、食育について見直してはくれないだろうか。

子ども全員にとって、給食が楽しい思い出になってくれればいいな・・・

 

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