別荘
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
とある別荘の所有者に、手紙を書いたことがある。
色褪せた緑色の屋根の一部が崩壊し始めている、大きな家。生活感は、ない。
日当たりのいいその一角は、時間が止まっているような錯覚をする。
南に面した掃き出し窓に、クリーム色のカーテンがかかっている。もともとそういう色なのか、日に焼けた結果なのか。開きかけのカーテンの間から、中をうかがうことはできない。他人の敷地だからね。
夏の強い陽射しで、カーテンの隙間の闇が際立つ。全体的に古びた家が目立つ静まり返った別荘地で、ほんの少し涼しくなった。
60年代の雰囲気をまとったその別荘に、最後に人が訪れたのはいつだろうか。
“元々は亡くなった父の持ち物です。”
“私も高齢なので、たぶんもう行くことはないと思う。”
そんな返信を読んで、改めてその別荘を眺める。
この別荘に、まだあかりが灯っていたころ。
小高い丘の上の、高度成長期に開発されたであろう別荘地。
別荘それ自体がステータス、そういう時代だったんだろう。時代も住む世界も違う身としては、想像でしかないけれどね。
ちょうど、こんな暑い時期に都会から涼みに来ていたのだろうか。
到着したのは、ミンミンゼミの鳴き声響く日中?それともひぐらしの鳴き声聞こえる夕暮れか。
夏の青空が目にしみる。
破れた障子に、かつての人の暮らしを感じた。窓の向こうのカーテンに、白いワンピースを思い浮かべる。
誰かが腰かけたであろう大きな木の切り株と、庭木の跡。
夏の沸き立つエネルギー。
ここを訪れていた人を思ううちに気づく。
そこに残る記憶のかけらは、記憶の持ち主にしか拾えない。
頭の中で活発に展開していく幻像の勝手な投影を止めると、目の前にはただ静かに、崩れかけた別荘がある。
当初の持ち主は、もうこの世にいない。
かつて共に訪れていた娘は、別荘と同じように年を重ねた。
たぶん、もう、行くことは、ないと、思う。
便箋の文字を口にすると、また感性が動き出す。
別荘はすでに告げられていたかもしれない。
また同じことを伝えるのは、残酷だろうか。
未来に目を向けるべく書いた手紙は、過去へ思いを巡らせる。
何回もの夏を見送って、記憶の持ち主の影は少しずつ薄くなっていく。
別荘と自分の影が重なっていく。
からだの中にじわじわと広がっていくその思いは、果たして別荘のものだろうか。
持たざる者のなけなしの道に、感性が佇んでいる。
何がトリガーになるのか分からない、でも気が付くと論理的な思考は隅に追いやられている。事実だけを、客観的に考える必要があるときほど。
半袖の腕ににわかに湿度を感じると、伸びた影が消えて薄暗くなった。
道路わきに止めた車の中に駆け込んで夕立をやり過ごしていると、ふと気づいた。
排水溝で道路と隔たれたその敷地は、車で乗り入れることができない。
かつてどうやって訪れていたのだろう。
タクシーか。バスか。こんなふうに路上駐車しても咎められない時代だったのかもしれない。
近隣に八百屋もスーパーもない。この坂をずっと下って買い出しに行っていたのか。それとも当時はお店があったのか。
現実的なことを考えているうちに、頭の中の幻像は薄れていく。雨に、何の関連性もないだろう。
隣接した空き地には木が生い茂っている。境界線と擁壁を兼ねた石垣はところどころ石が外れていて、夕立の雨がくぼみを流れていく。
崩れた屋根からも内部に水が入ってるんだろうなあ・・・
老朽化した建物自体の取り壊しは免れないだろう。
でも、この土地は、どうだろうか?
太陽の光を感じて空を見ると、雨は上がっていった。
伸びる雑草についた雨粒が、少し西に傾いた陽射しを受けてきらきら光っている。
湿った匂い。夏の雨上がり。 聞こえ始めるセミの声。
移ろいゆくもの。感性と似ている。たぶんずっと一緒なんだな、と理解した。
あと何回夏がくるだろう。
あの別荘が夏を数え終わったとき、そこにあるものは何か。
再びその前に人が立ったとき、共に訪れる未来は何か。
その人の感性は、どうなっているだろうか。