曇天に咲く椿
幼いころの思い出話である。
雨空の明るい灰色と、小雨が車に当たる雨音。助手席で、煙のようにもわもわと雲を立ち上らせている山々を眺めていて思い出したことがある。
あれは、じーさまのブルーバードだったと思う。
椿を取りに行く、と言って長靴をはいてでかけた。
広い田んぼの合間に雑木林とそこを通る沢みたいなところがあって、そこに椿が咲いているらしい。
小雨とはいえ、なぜ雨の日に沢にでかけたのか理由はよく分からない。
薄暗い中を、じーさまの白いシャツを追って雨で濡れた雑草を踏みしめる。ゆっくり下りていくと、小さい沢が流れていた。自然の中の、いわゆる小川を初めて認識したのはこのときだった。
自分の頭よりも高い椿の木は、たくさん花を咲かせていた。つやつやした葉っぱとふさふさした雄しべ、赤ぼったいピンク色の花のコントラストはとてもきれいだった。
特に美しい椿を3本ほど切ると、切り口に濡らした脱脂綿を巻いて、車に戻った。
ほどなくして、路駐か速度違反か、パトカーに捕まった。
警察官と、車外に連れ出されるじーさまを見て強い不安を覚えた。大泣きする私を見て、警察官がなんとかなだめようと優しく声をかけていった。人前で素直に、こどもらしく泣くことができたのはこのくらいまでだったと思う。ああいうふうに泣いたことは、たぶんほとんどない。
一人、車の中で待つ。フロントガラスにたくさんの雨粒がついてはくっつき、流れていく。ルーフの上で軽い音が鳴る。
さっき採ってきた椿の枝を持ちながら、窓の外を見る。田んぼの先にサイロが見えた。枝を指で挟んで擦ると椿がくるくる回る。サイロを隠すように椿の花をかざすと、灰色の空に椿が咲いているようだった。
一時間にも二時間にも感じられる長い不安をこえて、ようやく帰路についた。
広い玄関を上がるとストーブが焚かれていて、呼吸が楽になった。とても重い荷物をずっと背負っていたかのような気持ちだった。
じーさまが作ってくれたホットココアに白い湯気が立つ。冷ましながら飲んでいると、ばーさまが椿を花びんに飾った。
ダイニングテーブルの上で、橙色のあかりの下にうつむく椿の花は、知らない花のように見えた。
私の記憶の中に灯るダイニングのあかりは、だんだんと輝度が下がっている。
こうやって少しずつ、消えていくものなのだろうか。
それならば。