夏の終わりの月
やっぱり思い出すのは、20年前の夏休みである。
迫りくる二学期に震えながら、昼夜逆転生活を直せずにずるずる過ごしていた。
夏の始まりにじーさまにもらった古くてデカいラジオは、使い方がよく分からずFMしか聴けなくて、あげくどこか身体で触れていないとうまく受信できなかった。
デカすぎて置き場に困りながらも行儀悪く足置き場にすることで解決し、そんなポンコツラジオを深夜に聴くのを楽しみにしていた。
当時新曲で出たばかりの「波乗りジョニー」がお気に入りで、パケット代を気にしながらよくリクエストを送った。DJにラジオネームを読み上げられたときはうれしかったなあ。
そのときは単純にメロディとピアノの音が好きだった。私の耳の処理能力のせいか、歌の歌詞を聞き取るのがすごく苦手だから、あまり歌詞には気が及ばなかった。
こんな8月の終わり。
開けっ放しの窓から入ってくる夜風がより一層ひんやりしてきた。山の夏は短いのだ。鈴虫の鳴き声が聞こえる。
夏休みが終わるなあ・・・やだなあ・・・と思いながら窓の外の空を眺めると、もわもわ雲の後ろにぼんやりとした月が出ていた。おぼろ月ってのは春の月だったような気がするなあ・・・音楽の授業で聞いた気がする・・・そこまで考えて気がついた。ラジオで流れている波乗りジョニーは夏との別れを惜しんでいるのだ。「月はおぼろ 遥か遠く 秋が目醒めた」と。「同じ波はもう来ない」のと同じように、同じ夏も二度と来ないのだ。
そのときとおんなじ月が見える。雲でかすんでぼんやりしているその月は、夏らしくは見えない。なんとなく、深夜になっても起きていることに罪悪感を覚え始める。夜ふかしをしたくてしていたあの日々も、眠れない今も、実際のところは同じである。
もうすぐ夏が終わる。
どれだけ残暑厳しく日中の気温が高くとも、もう空は夏に別れを告げようとしている。
暑いのがきらい、たいした思い出もない、夏らしいよい思い出は大人になってからの数えるほどしかないのに、それでも夏が去っていくことに気づくとさびしくなる。
あと何回夏が来るだろう?