雨の音が好きだ
強い風が吹くこともなく、ただしとしとと雨が降るのなら、その雨の音が好きだ。
白みがかった灰色の空は、カーテンを開ければ十分明るい。照明をつける必要のない、程よい自然の明かりは気持ちを落ち着かせてくれる。午後2時半とはまた違った趣の平和がある。
雨音が聞こえるように、窓を少し開けておく。外の空気が入ってきても肌寒くないのは、こんな時期ならでは。
夏はもう行ってしまった。
こういう雨の日は、午前中が特に似合うと思う。一人静かに過ごすのがいい。
私は基本的に怠惰だから、晴耕雨読に憧れてはいてもどちらも中途半端になってしまう。いわゆる積ん読状態の本たち。秋植えの準備が遅れ気味の畑。旅行と同じで、思いついた瞬間が気持ちのピークなのだ。取りたいと考えている資格も、浅すぎ広すぎの多趣味も、ひとたびやる気欠乏症を発症するとあっというまに置き去りになる。
毎日ランニングをしているご近所さんは本当にすごいと思う。場所が悪いとは言え、ゴミ出しにすらぎりぎりの時間に車で行く私の姿は彼らの目には奇異に映るに違いない。
南の窓辺を眺められるソファに陣取って、辛うじて編み物の手を動かす。半袖のショートカーディガンは、間に合わなそう。来年でもいいかあ、と思えるのは、私の精神が年齢とともに落ち着いてきたからだろうか。
編みながら、おととい見た嫌な夢を思い出しては悩む。忘れたころに繰り返し現れる、表現は違えど同じ状況の夢だ。かつては追いかけられる夢をよく見ていたけど、だんだんと減ってきて今の夢へ。夢にとらわれちまったら終わりだな、と思うから気にしたくはないのだけど、いつもリアル感があってフルカラー音声付き(そうじゃない夢を見る人もいると知ったときは衝撃を受けた)だから、その生々しさが数日は引きずる原因なんだな。
嫌なことに頭の中を支配されそうなときに、複雑な編み図はちょうどいい。ウェアなら減らし目があるから、否が応でもそっちに頭のリソースを回すし、模様編みと減らし目のコンボがくるとそれどころじゃなくなる。
にぎやかな場所へ行けば、嫌なことに引きずられがちな気持ちも紛れると思う。一人でぷらぷらするのは好きだ。だけど、コロナ禍だとそれもはばかられる。休業中だったり、時短営業だったり。地方じゃそもそもお店が少ないし、好きなお店や場所はあっても、今はこれといって行きたいところが思い浮かばない。会いたいな、と思う人たちはいても、これも今の気分じゃない。
今日は静かに過ごす日だな、と思った。