レモンイエローの窓

毎日を楽しく暮らしたい!コロナ禍でノージョブになったITエンジニアが転職先を探しながら、暮らし・家庭菜園(畑とプランター)を中心に多趣味をエンジョイするブログです

持っていないなら、どうする

あくまで身内の力という意味でのコネとか財産とか、利益をもたらすものの話である。

 

私は、何も持っていない。

 

住宅ローン減税が消費税増税緩和措置で13年間に延長されるのは、今月末までの申込み。ここに間に合ってほしいと思っていたけど、残念ながら無理そう。土地が手に入らないからには、何も進まない・・・増税はやっぱりキツい。

同時に、「住宅取得資金等の贈与税非課税枠」なんていう存在を知って、驚いた。そういう制度があるくらいには、一般的でよくあることらしい。ハウスメーカーの営業さんに自然に聞かれて、ないと答えた。

二世帯住宅にするとか、介護を頼む予定だからとか、なんか贈与する側にメリットがある上でならまだ理解できる。

けど、本当に交換条件なしで贈与ってされるものなのだろうか?

条件付きが当然なのではなかろうか?

だけど、ばぁばに車を買ってもらった人の話を聞いて、そういう人もいるのかもしれないと思った。

財産というのは一族で増やし、分け、守っていくものなのだろうか?

なんか貴族みたいだな、と思った。

私は平民だな。家庭菜園の畑を耕してるから農民かな。少なくとも、よい親子関係も財産もない。

 

生きていればいやでも、そういう他人の財産が輝いて見えたり、コネの力を目の当たりにすることがある。

高校生のとき、教頭から娘と仲良くするよう声をかけられたことがある。それは純粋な親心だったかもしれないが、教科担当の教頭の言葉は、私には内申書をちらつかされているように見えた。パパの出身大学に推薦で進学したのを見て、素直に実力と思えなかった。

学費全額免除の人の中学時代の話を聞いて、そのあまりの内容に素直に認められないこともあった。やはり校内の親戚パワーだった。

ボーナス査定時期に入ると、支給額を下げるべく現場に来ては言いがかりをつけたり揚げ足取りをする三代目のボンボンがいた。従業員の休日も限界まで削って、「今会社を畳んでも自分たち一族が生涯裕福に暮らしていけるだけの財産はある」と従業員の前で言い放つのを見て、このときばかりは心の底からここの正社員じゃなくてよかったと思った。

仕事が見つからず、条件も福利厚生も申し分ない親の勤め先に転職した人。余って仕方ないと本人が言うほどの多額のお小遣いをもらっていた片親の人。社内の正社員と結婚した非正規は正規雇用される会社・・・

だいたい似た境遇において、自分には与えられなかったものだ。なんかおもしろくねえな、と思った。

しかし、運も実力のうちならコネも実力のうちなのかもしれない。

それも、「配られたカード」であることは間違いない。

 

身内には、与えたくなるものなのだろうか?

与える側を想像してみる。

こどもも、甥姪も、私には存在しないから分からなかった。

一つ言えるのは、私の愛車、本当に愛しているイケメン(インプレッサ)を運転していいよ、と言えるのは夫だけだ。与える、というほどのものではないけど、これは近しいのかな。

 

いまだかつてない逆の立場、その大きい利益を受ける側を想像したとき、私はどうするだろう?

体験したことが、少なくとも実感としてはないから分からない。

だけど、使えるものは使うだろうな、とも思った。デメリットと天秤にかけるだろうけど。

 

親や一族のコネや財力は私にはない、ということは、私には不要ということだろうか?

同じようにない人もたくさんいるだろう。望んで得られるものではないし、選べるものでもないし、ないものはしょうがない。ない袖は振れないのだ。今、着物どころか半袖を着ている私にはよく分かった。

ないなら、どうするか。

手に入れるしかないだろう、自分の手で。

 

私が持っているもの、与えられたものを考えてみる。

親や環境には恵まれなかったけど、周囲の人には恵まれている、と思った。

私はたくさんの人のささやかな厚意の積み重ねで生き延びてきた。

ピークタイムだけ働かせてくれて、まかないまでつけてくれた行きつけのお店のマスター。

廃棄を分けてくれた人。

差し入れをくれた人。

使っていないから、と上等なステンレスの鍋をくれた人。

乗り換えると言って古い車を破格で譲ってくれた人。

あの手この手で暮らしを支えようとしてくれた人。

個人的に仕事を依頼してくれた人。

雨の日の横断歩道で、後ろから傘をさしてくれたご婦人。

たくさんの助言。

・・・

生きる、ということを諦めそうになったときに、目の前に差し伸べられた手がある。

過酷で辛い状況の中、本当にギリギリ、私の生命の灯火が消えようとしたそのとき、風除けが現れる。そのほんの一瞬、風がやむと私はまた燃え出す。

 

畑を貸してくれたご婦人。

おすそ分けをくれた大家さん。

手伝いに行くと労働力以上のお米や野菜を分けてくれる夫の遠い親戚。

 

・・・

なんとか暮らしを立て直してからも、結婚してからも、ふとしたときに小さないいことが起こる。

私の人生は、そういうものなのかもしれない。

身内のコネも財産も、なくてもきっと生きていける。

 

尾崎豊の「シェリー」が頭に浮かんだ。

私は、よくない親や環境から這い上がれたと思う。

余計な苦労の多かった暮らしから這い上がれたと思う。

間違っていないか?たまに心配になる。

私は、真実に向かって歩いているだろうか?

 

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