レモンイエローの窓

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シーユー・アゲイン

どうしても書きたいことがある。お題に乗っかって長い長い文章を投稿することを、許してほしい。

 

 

彼女のことを思うとき、自然に笑みも涙も浮かぶ。

14分の1が何分の1になっても、ともに過ごせたあの一年だけは何にも代えがたく輝いていて、いつまでも心にピン止めされている。

 

高校卒業までのいわゆる学生時代は、苦痛のほうがはるかに多かった。

当時の学校教育に合わせられなかったし、地方の小さな小さな町の、同学年という狭いコミュニティの中で、失敗ばかりだった。

人数の少なさが、失敗のリカバリーを阻んでいた面もあると思う。

自分自身のクセ、至らない点、短所、家庭環境、そういったものと、地方のコミュニティの相性は最悪であった。あそこの親は・・・とか、おともだちとうまくやっていけないとか、テレビの話題についていけないとか、身だしなみが整っていないとか、動きが変だとか。やらかしたことやミスはいつまでも記憶され、共有され、敬遠されるようになる。周囲の顔色をうかがうようになる。悪循環に陥っていく。

薄まることのない過去が、いつまでもついて回る。子どもは失敗をしながら学ぶもので、そこからのリカバリーも含めて学びのはずなのに、私にはそのハードルが高い環境だった。家庭だけでなく、学校や、教師も含めて。

小中学校はクラス数も人数も少なかったけど、地域柄、転校生は多かった。

小学生のころは、期ごとに転校生がやってきた。そして、期ごとにお別れ会があった。

転校生たちはあちこちの学校を見てきているからか、視野が広くておおらかであることが多かったと思う。クセが強かっただろう私とも楽しく遊んでくれる。新しい人が加わることで、クラスやグループに新しい風が吹く。知らなかった遊びや歌を教えてもらって、一時の救いのような時間だった。

お別れ会は、転校していく人を見送るための会。楽しかった時ほど、早くその会は訪れた。そのたびに涙があふれ、胸はずきずきとしていた。今でも歌えるあの会の定番となっていた歌は、調べても出てこない。

 

そういう環境で、彼女と出会ったのは中学1年生のときだった。

放課後、部活になじめなくて校内を放浪していたとき、ピアノの音色に誘われて入った音楽室は文化部の拠点だった。

粒の揃ったきれいな音。譜面に忠実な弾き方。たくさんの練習の積み重ねがあることが、すぐに分かった。優しい先生のゆるいピアノ教室で、なんとなく楽譜が読めるだけの私には出せない音だった。

「ピアノうまいね。聴いててもいい?」確か、そんなことを聞いたと思う。

演奏の印象とは逆の、のんびりと軽い「いいよー」が聞こえた。

人もまばらな、5月の風通しのいい音楽室で聴くピアノは、少しだけ気持ちを楽にしてくれた。

 

隣のクラスの彼女は小学生のときにこちらに転校したことがあるようだけど、同じクラスになったことがなかった。

ぽつぽつと言葉を交わして、不思議そうにこちらを見ていることに気がついた。

少し言葉に詰まって、ようやく今日音楽室に来た理由を話した。

「ずっとここにいればいいじゃーん!」

さっきと同じ彼女の楽観的で軽い言葉は、確かに救いだった。

 

 

中学1年生の終わり、同じクラスの仲良くしてくれた一人の転校を泣きながら見送って、もうこれ以上こんな思いしたくない、と願いながら春休みを過ごした。

新学期、名簿に彼女の名前があった。

迎えた中学2年生は、初めて体験した「楽しい学校」だった。

こちらを向いて、「おはよう」と言ってくれる人がいる。林間学校の班分けに不安になることもなかったし、学校にいる間の息苦しさもなかった。

何もない小さな町でできそうなありったけのくだらないことをした。近場に唯一ある小さなバラエティショップで買ったプラバルーンを大きく大きくふくらませてみた。音楽室の窓からシャボン玉を飛ばしてみた。走り込みしている生徒たちにいかに気づかれずに吹くか?がポイントだった。お互いの席を糸でつないで手紙を送ってみた。汗で不快な肌着が何分で乾くか干して実験した。ふせん遊びがエスカレートして同級生に注意された。

しょうもないことばかりやる私に乗っかってくれる彼女。変わっていてごめん、と謝ると「私も変わってるから」と明るく言う。

ある日音楽室を物色していると、授業では出てこないようなギターを見つけた。高音弦が透明で太く押さえにくいあのギターは、どうやらクラシックギターのようだった。指で弾いて遊んでいると、「そういえばうちにパパのギターがある」。

彼女の言葉がきっかけになり、ギターにも挑戦した。

先輩に目をつけられるぞ!と怯えて、ギターは早く登校して職員室に置いてもらった。

休み時間も部活も、ギター一色になった。

チューニングは、ピアノで鍛えられた彼女の音感に助けられた。校内の暗がりに潜り込んで、ブラインドアルペジオの特訓もした。めきめき上達していく彼女の横で、Fが押さえられないと足をひっぱる私。ふだんはのんびりおっとりしている彼女が実は努力家であることを改めて目の当たりにした。

 

梅雨が明けて、雲の間から青空がのぞき始めたころ。

ギターの練習場所を探していた二人は、屋上へ出ることにした。

最上階へ続く階段を上ると、踊り場の先は古くなった机や椅子でバリケードが張られ、階段の手すりと外開きの扉のドアノブはスズランテープで固く結ばれている。

映画でも漫画でも、学生と屋上は絵になる最高の組み合わせの一つとして美しく開放的に描かれているのに、なぜ封鎖されているのか?納得できん!と言って、固い結び目を手持ちの文房具でほぐした。照明がついてないのに明るいのは、この階段だけグラウンドに面して大きい窓があるからだと気づいた。サッカー部たちが練習にいそしんでいるのを横目に、テープがほどけた。

示し合わせたように声をひそめる。ドアノブにそっと手をかける。黙ったまま顔を見合わせて、ドアノブをひねる。

(開いた!!)

読唇術を心得てなくても、何を言っているか分かる。喜びを抑えながら、一歩踏み出す。

あちこちに、緑がかったコケが生えている。雨風にさらされてボロボロになっている机。薄汚れながらも、屋上は白かった。

サッカー部たちの声がよく聞こえて、本当に屋上に出たことを実感した。彼らの声は聞こえるのに、彼らは今、私たちがここにいることを知らない。そこだけが、切り取られたプライベート空間のように思えた。ギター弾いたらばれちゃうね、と言って練習場所にするのは止め、秘密の共有場所になった。制服のスカートを短くすることなんかよりも、ずっとスリリングで魅力的なことだった。

 

夏休み、初めて彼女の家に遊びに行った。

お昼に彼女がゆでてくれたおそうめんを食べて、彼女の妹と三人で音楽ゲームをして遊んだ。例のダンスシミュレーションゲームである。もちろん専用コントローラあり。その後このゲームにドハマりした私は、狂ったようにプレイするようになった。

下の階の住人に許可を得る姿を見て、そういう視点に欠けている自分が恥ずかしくなった。ピアノの練習をするときにも、近隣住民に断りを入れてから始めるらしい。自分の家に対する周りの評価の理由を察した。

ある夏の夜、彼女は塾に行くと言う。小さな町の、やはり小さな個人経営の塾だ。主に宿題をみてもらっているらしい。そこの塾の存在を知らなかった私は、誰が行っても大丈夫だというのでおじゃました。

入るなり、私の身元が割れて隠れたくなった。この小さな町の嫌なことの一つが、これだった。「お母さんによろしくお伝えください。」という言葉に、こんなのと友人の彼女に何かあったらどうしよう・・・と本気で不安になった。よろしくも何もあったものじゃない、と苦しくなりながら返事をした。この言葉の嫌なところは、指定された身内に伝えなければならないこと。重い足取りで帰宅し、恐る恐る母親に一連の話を伝える。案の定不機嫌になった。ヒステリーの被害を回避するべく、こっそりと再び家を出る。なんとなく彼女の仮住まいの集合住宅まで歩いた。ファミリー向けの間取りのその建物を見上げると、窓にはレモンイエローのあかりが灯っていた。

 

人気の少ない小さな町を夜に徘徊しても、事件も悪事も起きなかった。

ある意味で平和そのものの町を、夜に時には自転車で放浪する。

中学校のグランドはよく星が見えたし、八百屋の前の自動販売機は品ぞろえが充実していた。

本当は彼女と一緒にふらふらしたかったけど、彼女の両親に迷惑をかけるわけにはいかなかった。

学校の枠の中ではやりにくく不都合も多い一人が、夜の中では居心地がよかった。

 

夜風が涼しくなってきたころ、クラスの一匹狼と転校生が加わるようになった。細けえこたぁいいんだよ、の楽しく過ごす会である。新しい風は、日々を輪にかけて楽しくさせてくれた。お絵描きロジックに小指を真っ黒にし、ゲームや車の話題で盛り上がった。深夜徘徊組ができて、星空観察会が開催された。一匹狼くんがここに加わった理由を知った。

一方で、悩み事やストレスも増えていた。自分の中で感情が激しく暴れまわっては、外へ向かってあふれ出す。他人に被害が及ばないように抑え込むのに必死だった。それらは、シャーペンからノートへ、プリントの裏紙へ走っていく。どれだけ楽しく過ごしていても、心の中は平和ばかりではなかったし、全校生徒と分かり合えるわけでもなかった。小さな中学校の人間関係。トラブルもあったし、常に正しい判断ができるわけでもなかったし、心と身体の成長には同期が取れていなかった。強くつかまれるような胃痛を初めて経験した。同じ痛みを耐えているらしい彼女と、家で見つけてきた胃薬の注意書きを読む。二人で一包だね、と力なく笑いながら、プリントで半分ずつ分けて飲んだ。

彼女のストレス症状はなかなか治まらなかった。目立つところに現れたその症状は痛々しくて、見ているのも辛かった。語り合い、交換日記をし、ギターを弾いていても、どこか空振りしているようだった。自分の行動が正しいのか、分からなかった。

人を助けるなど、おこがましいか。自分のこともままならないのに。他人にできることなど、たかが知れているのだ。

でも。それでも。

少しでも楽になってほしいと思った。

そのとき、自分がグループに所属していることに気づいた。お情けで混ぜてもらっているだけのグループではない。二人なら楽しい。四人なら、心強い。目には見えないけど確かなものがそこにあった。

 

根拠もなく、こういう日々がずっと続くと思っていた。

ようやく手に入れた安全地帯だった。

引っ越す、と彼女から聞いたのは、秋の終わりだった。

 

飛行機に乗るってどんな感じだろう。怖いのかな。落ちたらどうしよう?

冬の長いその町は、この町よりも雪が降るらしい。どんな景色だろう?

電車に乗ったことも二回くらいしかない、家族旅行も行ったためしのない私は、ほかの町のこともほとんど知らなかった。

彼女はその町に帰る。

そこへ行く手段を想像しても、どれも実感がわかなかった。

果てしなく遠い距離だった。

春がきたら、自分はどうなっているのだろう。

不意に感じる。よく知っているあの息苦しさ。

考えたくないのに、意識は迎える中学3年へと向かっていく。そのときは絶対にやってくる。のどの奥がつまる。突然中学3年生になんて踏み出せない。予行演習をしなくてはいけない。 彼女がいなくても、学校へ行けるように。

大喧嘩をした。

他者との、初めてのぶつかり合いの喧嘩だった。

いなくなるなんて耐えられない、いない学校生活になれないといけない、一人にしてくれ。そこまで言って後悔した。

泣いていた。

泣かせてしまった。

残り少ない日々を私と楽しく過ごしたい、と言われて衝撃を受けた。

私と?私と!

ようやく気がついた。

どれだけ彼女の心の広さに甘えていただろう?

いつもまず私が出てきて、彼女がどう感じているのか、思い至らなかった。考えていないのではなくて、信じる、ということができなかった。本当の意味で自分を大切にしていないから。他者も大切にしていないから。他者を泣かせるまで気づかなかった愚かさ。他者を思いやるとは、何でも他者に迎合することではない。

 

納得して、仲直りすることを学んだ。小学校前からの定番の、ゴメンネイイヨじゃない仲直りだった。

それからの日々が慌ただしく、ただただ惜しかった。 

この冬が終わったら、彼女は遠くの町へ行く。

記念にプリクラでも撮ろうか、と隣町まで下った。中学生にはバス代だけでも馬鹿にならない距離だけど、二人で撮ったプリクラが欲しかった。

シャッタータイミングで半目開きになったショットにごまかすべく「ねみー」と書いたら、彼女は「Best friends!」と書いた。「眠いとは何事か!」と笑いながら怒る彼女は、水色のコートを着ていた。こだわりを持って物を選ぶ彼女は、おしゃれだった。

持ち物の整理を始めた彼女から、黄緑色の定規を譲ってもらった。形見と言って怒られた。勝手に殺すんじゃない、と。しかし、自分の中では同義と言わないまでも類義だった。もうすぐ、冬が終わる。

 

春が来てしまった。

風は冷たかったけど、日差しはぽかぽかと暖かかった。春だった。

運び出されていくたくさんの段ボール。彼女の白いピアノ。何度となく見ている光景だ。業務として淡々と遂行されていく引っ越し作業に、中学2年生の感傷が挟まる余地はない。

引っ越しのトラックを先に見送った。残った三人の自転車と、彼女の家の車。そのナンバーの町に、彼女は帰る。

名残惜しい時間が過ぎ、彼女の両親に、本当にありがとうね、と声をかけられた。とても優しかった。必死にペコペコしたりしながら大きく手を振った。

しばらく立ち尽くして、彼女の部屋の窓を見上げた。青空を映したその窓に、カーテンはかかっていなかった。

ひょうひょうとしている転校生の横で、一匹狼くんが小さく、追いかけたい、とつぶやいた。小さく、頷く。「行っちゃいますか!」と軽いノリで転校生が笑う。こっちは本気だ。

行くあても分からないまま、隣町までの坂を下っていく。家族で出かけることのない私には、彼女一家のルートも想像がつかない。見送りのシーンを頭の中で必死に再生する。・・・買い物だ!大きな声で叫んだ。

隣町にできた大きなショッピングモール。「そうだ!そこへ行こう!」一匹狼くんが叫ぶ。しかし誰も行き方が分からない。そんなおしゃれなものとは無縁の三人だった。新しいショッピングモールの看板を追いかけながら、信じられないほどの速さでママチャリは道を駆け抜ける。

道に迷いながらようやくたどり着いたショッピングモールはきらきらとしていた。ガラス張りのショーケースにはハイブランドのバッグが飾られている。こちとらロンT、パーカーにズックである。アウェイ感に苛まれた。

マップを見てもまるで見当がつかない。あまりにもなじみのない名前ばかりである。彼女はどこにいるのだろう?

モール内をうろうろしながら、彼女の携帯に電話をかけてみるが、圏外だった。

長いこと彷徨っているうちに、だんだんと日が傾いていく。

「・・・もう諦めよう。」

うなだれながら、坂道をひたすら上って帰った。風が冷たかった。

 

それなりに覚悟はしていたものの、迎えた中学3年生は辛かった。

三人の間にはこえられない性別の壁があった。

グループはすでに固まっている。教室に行けなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

のどが苦しくて、それをどう表現したらいいかも分からなくなった。

「このままだと普通の学校に行けなくなる」と担任に言われても、どうでもよかった。普通って何、と思ったけど、言わなかった。定時制に行く、と言ったら母親は激怒した。同じなのに。

彼女のいる遠くの町のナンバーを付けた車を見るたびに、一緒に乗せていってほしいと強く願った。

手紙に同封されていた、新しい制服を着た彼女の写真を眺めては泣いていた。 

彼女がよく弾いていたピアノ曲の中からギリギリ自分でも演奏ができそうなものを探して、真面目に練習してこなかったことを後悔しながらひたすら弾いた。

 

梅雨の長雨とじめじめでうんざりしていたころ。

彼女から、学校の課外活動の一環で隣のエリアの県まで来ていると連絡があった。

飛行機の距離よりもずっと近い場所に、彼女がいる!

すぐに会いたい。あの日追いかけたことを話したい。引っ越してからの出来事を聞きたい。新しい学校はどんな感じ?進路決まった?

真に心の底からくる、自分の願いだった。

どうにか行かせてくれと親に必死ですがったが、叶わなかった。

向き合うことなく、私を睨む目と、いくらかかると思ってるんだ、と吐き捨てられた言葉だけがいつまでも残った。ずっと近い場所にいるのに、彼女に会えない。未成年であることを、親の保護下にあることを、この小さな町から出られないことを呪った。湧き出る激情は皮膚の下を通って内側へとまた向かっていった。

取り繕えるようになるまで、中学生にとっては長い時間がかかった。

 

 

その後の高校時代もいい思い出はない。

おかしなふるまい、判断ミス。冷めたクラスにさしたる思い入れもなかった。3年生になるころにはまた同じことを繰り返した。

大人になってよくやく手に入れた自由と責任が、私を解放した。未成年時代に取りこぼしたことの学び直しをし、振り返ることができるようになって、なんとか今を充実させるまでに至った。それでもたくさんの大切なことを回収しきれていない。すごく遠回りだと思う。

子どものころに戻りたい、とは、私は言えそうにない。

だけど、あの中学2年は唯一、学校に行こうと思えた一年だった。 

あの日、音楽室に行かなかったら。

あの日、放浪している理由を話せなかったら。

 

後からどれだけ強く望んでも、あの一年はあのときでしかなしえない。 

私にとっては間違いなく、彼女はプリクラ通りのベストフレンドだった。

たとえ、彼女にとっては数ある転校先の友人の一人だったとしても。

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」