【ロック】好きなのに、がっかりなのだ
あるニュースを見てから、残念な気持ちになったりもやもやしたり・・・
そして芋づる式に出てくる、知らなかった過去の発言や表現がけっこう気持ち悪い作品。
便乗はしたくないなあと思ったので、ちょっとだけ間をあけて気持ちを書く。
10年くらい前までは、RADWIMPSをよく聴いていた。
ロックが好きだし、歌詞の表現もよかった。俺色スカイとか、愛しとか、ふたりごととか、螢とか、アンチクローンとか、このへんが好きだったんだな。
アルバム「無人島に持っていき忘れた一枚」は、アルバム通り再生すると各曲がうまくつながっているのがよかった。車のエンジンをかけて、一曲目の「4645」が再生されると、おっし行くぞ!みたいな気分になる。
最後に聴いたアルバムの、透明人間18号がとても気に入っていた。
空の色に始まる、色の表現が好きだった。たぶんこの色ってのは、個人の主義主張とか、ポリシーとか、そういうのを指すんじゃないかなと思っている。
黒になろうとしてもなりきれず灰色になった、というところは「黒に身を預ける」。「どちらにせよ、潔さが求められることを知」る。
そしてその灰色を、「虹の色をかき混ぜると同じ色」と言ってくる。私にはこの表現が一番刺さった。中途半端さを表している灰色が、虹色とこうつなげられると心が震える。
「太陽が照らす相手選んだら、きっと僕に色は与えられない」とか。
光なくして色は目に映らないもんね・・・
一つの色を貫く人や、いろいろな色にも塗れる人も、「それぞれなけなしの正しさを振り絞っている」。私は何色だろうか?
こういう感性が、彼をアーティストたらしめるもの。
気がついたらずいぶんと有名になっていた。
だから、先日の発言と行動が大きく報じられてしまったのだ。
地方組だから、めったにフェスやライブには行かない。だけど、音楽を聴く一平民として音楽業界には盛り上がってほしいし、コロナは早く終息してほしい。今は混乱の中で、どうしたらいいかみんなで考える時期なんだと思う。いろいろな状況を総合的に見て決断するのは主催者や国側である以上、なるべくそれに沿う行動をし、結果が出てないと開催にこぎつけられない。納得いかない点や、変だなと思うことはいろいろあるけれど。
私にはなんにもない。有名人でもない、発言力もない、ただの凡民である私にできることは、感染対策をしてなるべくおとなしくすることだけ・・・キャンプ場がダメだと言えば、キャンプだってがまんなのである。
影響力も持っている彼には、だからこそ、発言にも行動にも注意を払ってほしかった。
アーティストは、あまりプライベートを表に出さないほうがいい。
そう思うのは、私がすでに古い人間だからだろうか?
すっかり主流になったSNSでいともかんたんに発信できるけど、それは諸刃の剣のように思えて仕方ない。
インターネットが身近になる前の、「謎に包まれている雰囲気」のままのほうが、知らなくていいことは知らなくて済むことが多かったと思う。
その作品が気に入っているほど、知らないほうがよかったことを知ったときのダメージが大きい。知らないうちに期待しちゃってるんだろうな。
自己防衛の意味も兼ねて好きなアーティストのSNSは追ってないから、能動的に目に入ることは少ないんだけど。今回のように、疫病と大きな音楽イベントと・・・と重なって一大ニュースになってしまった場合は必然知ることになってしまう。 トップニュースが憎い。
長らく行っていないフェスやライブは、当分参加できそうにない。ワクチンだってまだ順番が回ってこないのだから。大多数に行き渡るまでは、がまん。去年の初期のうちにがっつりロックダウンしてコロナを追い出せていれば、今頃は経済ガンガン回すぞー!ってできていたのだろうか。夢物語だろうか。ロックダウン自体、日本の法上できないんだもんね・・・
なんかこのがっかり感は、島崎藤村は姪に手を出したクズ野郎だったとか、中原中也はしょっちゅう太宰をいじめてたとか、そんなことを知ったときに似ている。ゴッホが自画像の耳を批判されて、自分の耳を切っちゃったとか・・・それはちょっと方向性が違うかな。
その人の芸術性と、人間性は別。相関関係にないどころか、まったく関係ない。分かっちゃいても、切り離して考えるのはなかなか難しい。