壮年ふぇぶの悩み 次の仕事はどうなる
またなんかパロディなタイトルだけど、元ネタと内容は関係ないので注意されたし。
残された時間はあと少し。次の仕事は見つかるんだろうか。
あんまりわがままは言っていられないけど、ようやく自分に向いてる方面にキャリアを積み始めていたのはたしかなのに。
残念ながら、なかなか手持ちのスキルと合う求人がないのだ。他言語でもゼロから学ぶ気概はあるけど、大体は即戦力を求めている。案外、在宅勤務ができるのも少ない・・・
不況になると、失業したとしてもその中の優秀な人から空いた席に埋まっていくから、立派な学歴も職歴もない私はふるい落とされてしまう。いつも正社員というエサをぶら下げられて、あとちょっとのところで届かない。コミュ力が問題だろう、とがんばった直近の職場を退職するとき、時期が悪かったとみんな励ましてくれたけど、言葉通り受け取ってよいのだろうか。
リーマンショックや大震災、そして今回のコロナ禍。そういうタイミングにかち合って失業するのはなぜだろう。
「次の仕事が決まるまで、なるべく落ち込まずエンジョイする」のがブログを始めた目的だ。実際役に立ってくれている。でも、涼しくなってくると不安が前に出てくるんだな。夏を見送る寂しさにくっついて出てくるのだ。
非正規の星の下に生まれたということだろうか。
それとも、このタイミングで何かやるべきことがあるってことだろうか。
退職するときに言われたことばが残っている。
避けても結局、形を変えてまたやってくる。
多くの、やったほうがいいと自覚していることの大半は実はどうでもよくて、できれば避けたいそのことこそが、今やるべきことなのではないか。
だけどそのやるべき、やったほうがいいことは、難しい。私にできるんだろうか?他の人には、ワケのないことかもしれない。だからこそそれは、私の課題なんだろう。
ずっと続けていた日記をやめて、二足のわらじで忙殺されるようになって、気がついたら絵どころか文章も書けなくなったことがある。4年くらい前のことだ。
そのときに比べたらやたら筆が進んでいるように思うけど、でもまだ表に出したいことの核心には届ききっていない気がする。
そうやってもやもやしながら、自分の中の世界だけで考え続けている。
家庭菜園や、多くの趣味、私の好奇心は、私を救うだろうか?
私の中の世界は広がることができるだろうか?