【転職活動】スカウトされたものの・・・面接での相違に苦しんでる話
ゆっくりブログを読んで、自分の畑の参考にする時間が取れない。
はてなブログもなんかまたイベントやってるみたいだけど、時間がない・・・
連日面接で、分かっちゃいるものの精神的に疲れている・・・
知らない人と話すというのは、それだけでエネルギーのいることだと痛感する。短い時間の中で自分の経歴を分かりやすく伝えないといけない。書類選考を通過しているとはいえ、ね・・・
ミスマッチを減らし、先方の書類選考というステップと、私の「イチからの」を省ける魅力的なシステムが、転職サイトのスカウト機能だった。
決められた形での各言語のスキルや経験と、フリーで書ける匿名の経歴書。
ここをキッチリ落とし込んだ。
企業名自体は非公開でも、プルダウンで「製造業」と選ぶ。
雇用形態だって「派遣」とか「契約社員」ってハッキリ書いた。
その上でやってきたことを、かなり具体的に書いた。
「職種」はいろいろやったから正直表現が難しい。だから、プルダウンから選んだうえでフリーの部分に具体例を書いた。
IT業界自体は未経験、を踏まえた上で実際にどうなのかを判断してもらうために。
大学だって家の事情で退学と書いた。
フリーター時代だって経験業種を「サービス業」と書いた。
その上でスカウトをかけてくれた企業の求人内容を見る。
それでも応募要件に「大卒以上」と書いてあれば、そもそも応募しない。
(なんでスカウト送ってきたんだ・・・)とは思うけど、きっと見落としちゃったんだろう。
スカウトメールに「あなたのIT業界でのサーバーのご経験を拝見し・・・」なんて書いてあれば、私の匿名経歴書に目を通してないことはすぐに分かる。
(サーバーもやったけど、だからIT業界じゃねえ)と。
人事・採用担当は大忙しだろう。
なんとなく想像はつくから、あえて騒いだりしない。
その上で、テンプレそのままではなく「経歴書読みましたよアピール」のあるスカウトメールをくれたところに、前向きな気持ちで応募したわけだ。
具体例で上げたキーワードが入っていたり、私の経験を踏まえたステップアップを提案してくれていたり。
特典として書類選考免除、というものがついているものも多くていいなあと思っていたのだけど・・・
実際に面接までして「ホントに私の匿名経歴書見てスカウトしたの?」と聞きたくなるような企業が数社あって、ちょっとゲンナリしている。
・「でも結局は未経験ですよね?」と言った企業が2社
・経験年数一年未満と書いてあるのに「一番得意な言語はPythonでいいですよね?」と言った企業が1社
しかもこの3社のうち2社は、結局履歴書と経歴書を改めて送付して、書類選考を経て面接になっているところ。
「製造業でやってきたことがこれだけあって、具体的にこんな事例でこの言語を使って、どんなフェーズを対応したか」、「どんなキャリアプランをもって応募したか」まで書いてあるのに。
それでいて上記の言葉・・・
あれだけ具体的に匿名経歴書に書いてあるのに。ほぼ同じ内容で、履歴書も職務経歴書も送っているのに。
お互いの時間の浪費ではないのか?
一体何を見て声をかけてきたんだろうか??
こうなった2社はどちらも比較的大きな企業で、面接官は女性で総務や人事の人だった。(私も女だから、「女性は・・・」などと括るつもりはない。)
いつも選ぶ側なんだろうな。そりゃそうか。
でも、いまさらだけど聞いておけばよかった。「エンジニア上がりの人事の方ですか?」と。
求める人物像と違う、おおいに結構。
社風に合わない、おおいに結構。
そういう、「実際に会ってみないと分からない」的な理由ならぜんぜんいいのだ。
こちらだって、どんな企業なのかやっぱり実際に話して確かめたいのだから。
さらに具体的に突っ込んだ話をした結果、求めるスキルと合わない・・・も理解できる。私の希望する、地方からの働き方はやっぱり厳しいよね、とか。
でもさ・・・「結局は未経験」って何?
そんな「結局は未経験」の人間をわざわざスカウトした理由って何??
そもそも論である。
逆に、
業界うんぬんではなく、実際に話も聞いた上で「それは経験があると言えるし、フリーランスとしてもやっていけるだろう」と言ってくれたのが、2社。どちらもエンジニア上がりの社長だった。具体的なアドバイスもくれた。
そんな社長が直々に出てきてくれたり、技術担当の人も参加してくれていたり・・・私の「やってきたこと」を見てくれた企業が、4社。泣きそうになっちゃったよ。
私を一エンジニアとして見てくださってありがとうございました。
まだ選考中とはいえ、契約社員やフリーランスとしての働き方を提案してくれたのは、3社。具体的な案件紹介までしてくれたのが、2社。フリーランスって、お互いにWin-Winな働き方だと思う。
そして、複数回面接があって、もうすぐ二次面接のあるところが1社。(一次面接通ったのだ!)
このあたりは全部、スカウトじゃなくてイチからの、私からの応募なんだな・・・
私の中で、(スカウト機能って実はあまり役に立たないのでは・・・?)という疑惑が上がっている。
スカウトはお互いのミスマッチを減らす取り組みのはずなのに、面接までしてあんなことを言われるくらいなら、最初からきちんと書類選考をしてほしい。
採用側の事情ってよく知らないし、大変な仕事だとは思う。
だからこそ、30分、1時間という時間を使って面接をしたい求職者なのか、ホントしっかり確認してほしいのだ。
できることなら技術担当者や現役エンジニアに同席してほしいところだけど、日々の業務的に難しいだろうし、そのための人事・採用担当なんだけど・・・うーん。
ほら、やっぱり、知らなくてもそれなりに分かるための匿名経歴書や書類選考だと思うんだな・・・
毎日面接や下調べてけっこう疲れてしまったから、一度求人探しや応募はお休み中。
スカウト受信もストップした。
一通りの面接がすんで、結果が見えてきたらまた考えよう。
IT業界には希望が見えるけど、どうなるだろうか。
私にとって、上場してるだとか大企業だとか、そういうことは大したことではなくて、スキルアップできそう、とか技術的にもポジション的にもいろいろチャレンジできそう、とか、そういうことのほうに魅力を感じる。
選考中や二次面接、まだ結果は決まっていない。
フリーランスという働き方も魅力的だ。目指している半農半ITは、たぶんこれで達成できる。
明日には畑に行こう。
分かっちゃいても、面接は精神的にキツい。
こういうときに畑は、気軽に自然に触れ合えるからいいね!
残りのラッカセイの収穫もあるし、サツマイモも様子を見たい。
窓からちらっと確認したら、ハクサイが大きくなってきていたし!
うう・・・ツラい・・・とりあえず屋内栽培のメンバーたちを眺めて一息つこう。
転職市場での自分の価値
ただでさえ求人の少ない地方で、今まで希望していた業界では転職が叶わなかった。
まず学歴と職歴を求められるから、大卒でもなく正社員としての職歴のない私にはチャンスがなかった。
それまで何をやってきてどういう成果を出したのか見てほしいのだけど、現実は厳しい。
大体は転職エージェントに委託しているからそもそも応募にまでたどり着けなかったり、一応聞いてみてもらえたとしても、書類選考で落とされる。
フリーターに転落してしまった時点で日本社会でやっていくためのレールから外れてしまっているし、リーマンショックや3.11、今回のコロナに至るまで何度も危機的状況に陥っている。
数え切れないほど書類選考で落ち、面接でコケ降ろされ、派遣会社のコーディネーターにハナで笑われ、いかに自分が無価値か打ちひしがれながら生きてきた。
ようやく自分に合った仕事を見つけたと思っても、状況の変化で退職を余儀なくされた。
追い詰められて、業界としては未経験のIT業界に応募し始めたのは先週のこと。
経験としては多少マッチしているのと、一部のエリートみたいな求人は除いてほとんどが学歴不問!
目安として推奨される応募件数が多くて、どうせ落ちるだろうとなるべく多めに応募した。
光の速さで届く返答に、(どうせお祈りだろうなあ・・・)と思いながら開いたら、一社を除いてすべて書類通過。みんな、ぜひ面接を、と言っている。
翌日から届く大量のオファーやスカウト。しかもほとんどが、自分のやりたい仕事。
ちょっと信じられない。
うれしい反面、本当に私の匿名レジュメを読んでくれているのか、私程度ですら声をかけたいほど切羽詰まっているのか・・・不安でもある。
面接もピンキリだけど、技術担当の方まで出てきてくれたときは、自分をちゃんと一技術者として見てくれている感じがしてうれしかった。
届くスカウトの求人内容を確認したり、職務経歴書は何度推敲してもキリがないし、いきなり忙しくなってしまった。
揶揄されるくらいにブラック企業が多いのは、ITに限らずだけど仕方のないことだと思う。この地雷を見極められるだろうか?
この転職が、成功に終わりますように!
稲刈りと栗拾い
気温が高くてなかなかしんどかったけど、無事稲刈りが終わった!
稲刈り機がまとめてくれた束を干す。
束を2つに分けて、きゅっとねじってから干すのだけど、後半は握力が限界を迎えてつかめなくなってくる・・・
乾燥機を借りることもできるみたいだけど、今のところはこのやり方らしい。
見上げた青空が美しい!
まだ夏みたいな顔をしている空。
彼岸花だけが、秋だよ!って言っているみたいだ。
稲の葉っぱは日差しを受けて、明るい黄緑色に輝く。風が吹くと、その通り道が見える。
ザ・のどかな田舎のこの風景が好きだ。
だけど、周りの田んぼはひとつ、またひとつと耕作放棄されていく。
高齢で限界、というのが現実。
農道を通りがかる顔見知りに声をかけられるたび、実感する。ここではたぶん、私たちのような人はこどもみたいなもので、50代でも若者なんだと。
地方の少子高齢化・・・農業従事者の減少・・・
何かのコラムを読んだとき、「農業は資本主義に合わない」と言っていてしっくりきたことを思い出した。
我が家の家計という超ミクロな視点で言えば、ノージョブの今はなおさら、モノは安いほうが助かる。だけど、農業と資本主義を考えたとき、スーパーに並ぶ野菜はあまりにも安すぎる。台風の影響で値上がりした野菜たちにびっくりしつつも、これくらいが適正価格なのかもしれない・・・と思う。とても辛いジレンマだ。
他国は割と農業政策に力を入れているよね。今の日本はどうだろう?食料自給率も低い・・・
あんまり難しいことは分からないけど、食料って生きるために必要なものだから、国としてなんとかうまく運営できないかなあ、と思う。だけど、私ひとりが要求して通るものでもないし・・・
やっぱり、半農半Xを目指したい。私にとってのXはITかなあ。対人は苦手だけど、器用貧乏な傾向があるので、チャンスがあるならITでなくてもいい。Xも、ひとつじゃなくて二つ、三つとあるほうがリスクヘッジにもなるのかしら・・・半農半Xs?
こんなことを考えていると、私は雇われよりも個人事業主向きなのかもしれないけど、そんなスキルもツテもコネもないのだ・・・
この先どうなるんだろう?
稲刈りを終えて帰りの準備をしていたら、「栗拾いに行くよね?」と言われたので即答で「行く!!」と答えた。
本当になんでもあるなこの家は・・・(感激)
そういえば去年も栗をいただいたことを思い出して、栗の木のある山へ行く。
頭の中はもちろん(♪大きな栗の木の下で)である。
想像以上に大きくて立派な栗の木だった!
スマホを置いてきちゃったから写真が撮れなかった・・・
スーパーで一袋360円くらいで売っていたことを思い出して、(たくさん拾って農協に売ってもらおう!)と思い気合を入れてたくさん拾った。
んだけど・・・
「こんなの売れないよ!」って全然取り合ってくれないorz
「まだ拾うの・・・?(引き気味)」って言われて、「農協でも道の駅でもいいから売ってください!」ってお願いしてもダメ。
今年はまだ、栗の売値??の連絡が来てないらしい。
ぜっっっっったい売れるよこれ!!!ほしい人はいっぱいいるよ!!!
それにしたってさあ・・・売ってもらうつもりで拾っちゃったからあまりにも大量なのだ。
こんな赤ネットがごそっとあるあたり、やっぱり農家さんだなあと思う。
大きな秤でガサガサと袋詰めをして、親戚メンバーで山分けしてもまだあるんだなこれが。
とりあえず、こちらの畑の持ち主のご婦人と、大家さんに持って行こう。
今週は栗ごはんかな?
壮年ふぇぶの悩み キンモクセイ
どーにも言いにくいし書きにくいし、理解されないだろうということはよく分かっているのだけど・・・
現在進行形で、開けている窓から漂ってくるキンモクセイの香りがある。
この借家のすぐそばの、大家さんの敷地にそれはそれは大きなキンモクセイの木があるからだ。
橙色の、小さくてかわいいキンモクセイの花。甘くていい香り。
いい香りだなあ、秋だなあ、好きだなあ、と思った直後に、死にたくなるのだ。
全く理解できない。なぜ??
アタマの回路のエラーか。いくらなんでも変。
辛いできごとは数えきれないほどあって、自然とそう思うことはあるにしても、キンモクセイの香りがいきなりそう繋がるのは解せない。
これを認識したのは小学4年くらいのときだったか。
夜、自分の部屋の窓の外が真っ暗なころ、なんとなく網戸にしてキンモクセイの香りがしたときにそう思ったんだな。
あまりにも唐突、荒唐無稽。理屈もへったくれもあったもんじゃない。
秋がくるたびにキンモクセイの香りはするから逃れようがないのだけど、特にキンモクセイの香りを堪能せざるを得なかったのは、中学生のころ喘息が悪化して数日入院したとき。
医療費がかかることを母親に延々と言われるのを危惧して大部屋でいい、と言ったけど空いているからという理由で個室になった。
その個室の窓の向こうには、キンモクセイの木があったんだな。
窓を自分で開けた記憶はないのだけど、強烈なまでにキンモクセイの香りがたちこめていた。
喘息特有の咳をしながら、このまま死ぬのかなあ、と思った。
(実際苦しいけど)おおげさな音を立てる咳をしているときのほうが、もっともらしい理由があるからまだマシだった。
明け方に、小さいこどもの泣き声とそれをあやす大人の声を聞いて(ホラー!?現実だよね!?)と思ったり、薬の副作用で手が震えて字が書きにくいということを知ったり、差し入れてもらった本が好みでなかったり、貴重な入院体験であった。
退院するときになっても、キンモクセイの香りはあの部屋にずっと漂っていた。
思うことも、やっぱり変わらなかった。
頭が混乱する、理にかなっていない変な感情である。
困るっちゃ困るけど、どうにかできるものでもない気がする。お医者さんに聞いたところで分からないだろうし、秋にしかこうならないのだから季節性のトラブルとでも思っておけばいいのかな。なんかあんまり触れないほうがいいような気もする。
いい匂いなのに!
持っていないなら、どうする
あくまで身内の力という意味でのコネとか財産とか、利益をもたらすものの話である。
私は、何も持っていない。
住宅ローン減税が消費税増税緩和措置で13年間に延長されるのは、今月末までの申込み。ここに間に合ってほしいと思っていたけど、残念ながら無理そう。土地が手に入らないからには、何も進まない・・・増税はやっぱりキツい。
同時に、「住宅取得資金等の贈与税非課税枠」なんていう存在を知って、驚いた。そういう制度があるくらいには、一般的でよくあることらしい。ハウスメーカーの営業さんに自然に聞かれて、ないと答えた。
二世帯住宅にするとか、介護を頼む予定だからとか、なんか贈与する側にメリットがある上でならまだ理解できる。
けど、本当に交換条件なしで贈与ってされるものなのだろうか?
条件付きが当然なのではなかろうか?
だけど、ばぁばに車を買ってもらった人の話を聞いて、そういう人もいるのかもしれないと思った。
財産というのは一族で増やし、分け、守っていくものなのだろうか?
なんか貴族みたいだな、と思った。
私は平民だな。家庭菜園の畑を耕してるから農民かな。少なくとも、よい親子関係も財産もない。
生きていればいやでも、そういう他人の財産が輝いて見えたり、コネの力を目の当たりにすることがある。
高校生のとき、教頭から娘と仲良くするよう声をかけられたことがある。それは純粋な親心だったかもしれないが、教科担当の教頭の言葉は、私には内申書をちらつかされているように見えた。パパの出身大学に推薦で進学したのを見て、素直に実力と思えなかった。
学費全額免除の人の中学時代の話を聞いて、そのあまりの内容に素直に認められないこともあった。やはり校内の親戚パワーだった。
ボーナス査定時期に入ると、支給額を下げるべく現場に来ては言いがかりをつけたり揚げ足取りをする三代目のボンボンがいた。従業員の休日も限界まで削って、「今会社を畳んでも自分たち一族が生涯裕福に暮らしていけるだけの財産はある」と従業員の前で言い放つのを見て、このときばかりは心の底からここの正社員じゃなくてよかったと思った。
仕事が見つからず、条件も福利厚生も申し分ない親の勤め先に転職した人。余って仕方ないと本人が言うほどの多額のお小遣いをもらっていた片親の人。社内の正社員と結婚した非正規は正規雇用される会社・・・
だいたい似た境遇において、自分には与えられなかったものだ。なんかおもしろくねえな、と思った。
しかし、運も実力のうちならコネも実力のうちなのかもしれない。
それも、「配られたカード」であることは間違いない。
身内には、与えたくなるものなのだろうか?
与える側を想像してみる。
こどもも、甥姪も、私には存在しないから分からなかった。
一つ言えるのは、私の愛車、本当に愛しているイケメン(インプレッサ)を運転していいよ、と言えるのは夫だけだ。与える、というほどのものではないけど、これは近しいのかな。
いまだかつてない逆の立場、その大きい利益を受ける側を想像したとき、私はどうするだろう?
体験したことが、少なくとも実感としてはないから分からない。
だけど、使えるものは使うだろうな、とも思った。デメリットと天秤にかけるだろうけど。
親や一族のコネや財力は私にはない、ということは、私には不要ということだろうか?
同じようにない人もたくさんいるだろう。望んで得られるものではないし、選べるものでもないし、ないものはしょうがない。ない袖は振れないのだ。今、着物どころか半袖を着ている私にはよく分かった。
ないなら、どうするか。
手に入れるしかないだろう、自分の手で。
私が持っているもの、与えられたものを考えてみる。
親や環境には恵まれなかったけど、周囲の人には恵まれている、と思った。
私はたくさんの人のささやかな厚意の積み重ねで生き延びてきた。
ピークタイムだけ働かせてくれて、まかないまでつけてくれた行きつけのお店のマスター。
廃棄を分けてくれた人。
差し入れをくれた人。
使っていないから、と上等なステンレスの鍋をくれた人。
乗り換えると言って古い車を破格で譲ってくれた人。
あの手この手で暮らしを支えようとしてくれた人。
個人的に仕事を依頼してくれた人。
雨の日の横断歩道で、後ろから傘をさしてくれたご婦人。
たくさんの助言。
・・・
生きる、ということを諦めそうになったときに、目の前に差し伸べられた手がある。
過酷で辛い状況の中、本当にギリギリ、私の生命の灯火が消えようとしたそのとき、風除けが現れる。そのほんの一瞬、風がやむと私はまた燃え出す。
畑を貸してくれたご婦人。
おすそ分けをくれた大家さん。
手伝いに行くと労働力以上のお米や野菜を分けてくれる夫の遠い親戚。
・・・
なんとか暮らしを立て直してからも、結婚してからも、ふとしたときに小さないいことが起こる。
私の人生は、そういうものなのかもしれない。
身内のコネも財産も、なくてもきっと生きていける。
私は、よくない親や環境から這い上がれたと思う。
余計な苦労の多かった暮らしから這い上がれたと思う。
間違っていないか?たまに心配になる。
私は、真実に向かって歩いているだろうか?
【好きな外食チェーン】ココスのスープリゾットが恋しい
私が気に入る外食のメニューは、そこそこの高確率で廃止になる。
みんなそんなに肉が好きか(泣)
便宜上、自分のことをベジタリアンと表現するけど本当のところは正しくない。そういう思想で食べないんじゃなくて、直感的にえづくからだ。
もう10年以上前だと思う。
それまでファミレスというものにあまり馴染みがなかったから、自分の意思で行けるようになって楽しかった。あちこち行った中でも一番気に入ったのはココスだったんだな。ドリンクバーが充実していておいしい!紅茶もたくさん種類があるし、ココア系のドリンクの組み合わせがいろいろ楽しめる。今も大好きなファミレスだ。
食べられるものの範囲の縛りで、必然的に頼めるメニューは少なくなるんだけど、その中で一際輝いていたのはスープリゾットだった。
正式なメニュー名は覚えていない。コンソメベースの、お野菜がたくさん入ったイタリア風おかゆ、といったところ。お好みでどうぞ、と言われて目の前に置かれたのはココットの中のサワークリーム。初めてサワークリームというものを見た。添えられたら当然足すでしょ!
未知の味・・・初めて食べて、感動した。サワークリームってこうやって使うんだ!
自分でも使ってみよう、と思ってスーパーに行くと、ない。まだマイナーな食材だったのだ。地方の安いスーパーじゃ手に入らない。試しに手に入ったクリームチーズをコンソメスープに入れてみると、うまい!ちょっと風味は違う気がするけど、ほんのりクリーミーさが足せるっていうのが楽しい。新しい発見だった。
たぶん、一番あのメニューを頼んだのは自分に違いないと思うくらいお気に入りのメニューだったんだけど、忽然とメニューから消えてしまった。
つまり人気はなかったんだな。
そこで二行目の台詞である。「ダシ」が必要なのはよく分かる、でも何にでもベーコンだのチキンだのって入れる必要ないと思うんだな・・・
あのメニューの開発者に伝えたい。あなたは間違っていなかったのだと。
リメンバースープリゾット。カムバックスープリゾット。
静かな方が好きだ
できることなら、日常は静かに過ごしたい。
車もバイクも好きだけど、どちらも音は規制内。イイ音は十分に楽しめる。音楽を聴いたり、フェスやライブに行ったり、映画なんかを見るときは、しっかり鑑賞したい。でも逆に、映像を見るためだけに時間を使うのがもったいなくて、平行して別の作業をしたいとも思う。
うーん、わがままw
たぶん静かにっていうのは、ラジオとかCMとか、映像作品とか・・・このへんの音があまり得意ではないのだ。
好きな作品や映画もあるし、映像作品を見ること自体は嫌いということはないのだけど、目と耳両方から入ってくる情報量の多さに酔って頭が痛くなる。
テレビ、ラジオ、街なかで聞こえるCM、ネット配信番組、You Tube・・・
私の好き嫌いの激しさか、判定基準がシビアなのか、不快だと判定されたものが一方的に自分の目や耳に入ってくることもあるのが困るのだ。ラジオドラマがイタく感じてぞわぞわしたり、今どきのキンキン声が耳に刺さったり(←自分の声はどうなんだって言われたら自信ないけど)、堂々と載せるのはどうなのって内容のお話の広告が流れてきたり、好みでないメイクの顔がアップで映されたり。
人をイジることで取る笑いも分からなくはないけど、見ていて辛くなることがある。
ドッキリなんかも、台本通りだろうと思う方が心の健康にはいいのかも。
物語の中で人が死ぬのもいやだから、スターシステムというか、その物語の中で舞台を演じていると勝手に思うほうが、辛くなくてよい。よかった、実際には(って表現も変だけど)死んでなかった。素晴らしい名演技だね!って。トイ・ストーリーのエンディングのようにね。
自分のペースで進められる本とかの方が、相性はよさそうだ。
BGM代わりにテレビをつけている人もいるし、親交を深めている途中の人との付き合いのときには、会話の間のためにも何かしらあってほしい。必要なときは必要なのだ。あっ、でもそれで会話が聞き取れなくなることがあるから困るっちゃ困るなあ。
だけど私個人は、こどものときからリビングに行ってテレビを見るということがほとんどなかったし、一人暮らしを始めたときもテレビは買わなかった。モニターがあれば十分なのだ。
一般的な生活音なら気にしないけど、できればBGMは自然の音がいい。
故郷の山の中は野鳥のさえずりが多かった。実家自体は騒がしかったけど。
何か作業をしながら、耳だけで情報を得るのはそれなりに効率はいいと思う。
たぶん私にとっては、テレビとかの音は雑音になれなくて、耳が理解しようと音を拾ってしまうんだな。歌の歌詞は聞き取れないけど・・・
耳が悪いんじゃなくて、耳のノイキャン機能が低いんじゃないか、と思う。
だから、疲れる。
夫の目覚ましの音とか、目の前の田んぼのかえるの合唱に対しては問題ないんだけどね・・・
ハンモックでくつろぎながら動画観賞をするのが好きな夫のために、もしもおうちを建てることになったらリビングを2つにしようかなw
日程感は大事。期日はなるべくはっきりしているのがいい
昨日の日中は、とある連絡を待ってそわそわそわそわ。
頭のリソースがそっちに割かれちゃうから、他のことが手につかなくなる。スマホをちらちら、何度も見ちゃうんだな。
何も、昨日が期日だったというわけではない。未知の分野で日程感覚が分からないし、10日くらいたっても進展がなかったから進捗を聞いてみたのだ。
確認してくれるということで待っていて、夜になってようやく進展があった。
事情を理解している側とど素人のこちら側とで、認識に差があるのは当然のこと。自力で調べても、ネットに載っていないことはたくさんある。たとえば見積もりにどれくらいの時間がかかるか、なんてね。いろんなところとつながっていることだから、その先にまた確認と依頼をすることになって、ようやく期日がはっきりしてきた。
それまでは穏やかに日々を過ごせる。焦ってはいけない。事自体を急いではいないのだけど、楽しみでつい気持ちが急いてしまうんだな。
こういうとき、カチッと頭の中を切り替えられればいいのだけど、私はそれが苦手。
未来のことなど分からないことだらけだけど、せめておおまかに分かることならば分かっておくほうが、私は過ごしやすい。
依頼したときに、みんなが「スムーズにいきますとだいたい一週間から10日くらいかかります」(←桃鉄のように)と言ってくれるのが一番ありがたいのだけど、案外世の中そうではない。自分が仕事をするときはまずだいたいの日程感を伝えていたし、依頼する側のときも自分から聞くようにしているのだけど、その場の流れや雰囲気なんかで言いそびれるときがある。今回はそれが重なって、自分にとってハードな状況になってしまっていた。
イレギュラーなんてつきものだし、例えば上記で言えば10日では無理そうなら、8日目くらいに「当初の予定よりもう2,3日かかりそう」とか言ってくれればいいのだ。そのほうが予定が立てやすいし、保留になっていた他のことができたりするかもしれない。期日が分かっていれば、今日からのように心穏やかに過ごすこともできるであろう。でも、案外世の中そういう人ばかりでもないんだよな。「10日って言ったじゃねーか!」って喚いている人も見たことがあるし・・・
やっぱり、最終的には当事者同士の関係性だろうか?
相手がどういう人かを見て、場合によってはおおまかな期日も聞く。
私がどういう人かを知ってもらう。
他者への期待はしないに越したことはない。要求は最小に。
自分の過ごしやすさは自分で守る。
私の問題は、どう伝えるかということ。
自分にとってのイチから話始めるクセがあるからすぐに長くなっちゃうし、なるべくシンプルに一言で言おうとして冷たい印象を持たれたこともある。
そのちょうど真ん中へんが理想なんだけど・・・
ナイス雨上がり
朝から雨だったけど、風通しを良くしたくて少しだけ窓を開けていたらセミの鳴き声が聞こえた。
たぶん出遅れたセミなんだろうけど、涼しい雨の中聞こえるのはイメージとの不一致で違和感があった。
夏らしいミンミンゼミの鳴き声は夏を惜しんでいるようだったから、一緒になって夏を惜しんで過ごした。コロナ禍と、夏野菜の甚大な被害と・・・2年連続で寂しい夏だった。南の島も恋しい。次にダイビングに行けるのはいつになるだろう?ずいぶんブランクができてしまった。
昼下がりに雨が上がって、そのまま晴れ間が見えた。雨上がりに青空が見えるのが、なんか久しぶりな気がした。8月の半ばなんて、一週間も雨だったくらいだから。
雨は雨で好きだけど、青空だって恋しくなるんだな。
とある連絡待ちでずっとそわそわ。
ちょっと掃除してみたり、勉強始めてみたり、どれも落ち着いて取り組めない。
明るい午後はあっという間で、日が落ちるのも早くなってきたなあと思った。
相変わらずミンミンゼミの声が聞こえる。
青空も好きだけど、夕日のオレンジが混じるのはさらに好きだ。
こういう空には、なんとなく黒いものを入れたくなる。電線の向こうに見えるそんな空が好き。
秋は夕暮れ、だもんね。
秋はしいたけ・・・
こてらみやさんのコラムで、「春はたけのこ・・・」と言っていたから四季をそれぞれ考えてみたけど、冬だけ音が合わないんだよなあ。
さすがというべきか、一番しっくりくるのはやっぱり春。
春はたけのこ
夏は茄子
秋はシイタケ
冬は・・・冬は・・・みそ鍋?うーん、イマイチ。どうせなら野菜にしたい。とりあえず白菜にしておこう。
受験手数料値上がり。どの資格が自分に必要か考える【TOEIC・情報処理技術者試験】
情報処理技術者試験の受験手数料が値上がりしてた。
5700円から7500円・・・1800円の値上げ。大幅値上げだなあ・・・
数字の打ち間違いかと思ったよ。
秋期は勉強ができてないのでやめたんだけど、どのみち筆記試験だからもう値上がり対象だったんだな。
去年基本情報を受けようとして、延期、中止、延期からのCBT方式。慌ただしかった。
結局パソコン教室みたいなところで受けたけど、小さな会場に(それでもぎりぎり最低限であろう)たくさんの人が並んで消毒に検温・・・コストがかかるのは仕方がない。
勉強できてないからどうせ遅れてしまうけど、コロナの影響は資格試験にもがっつり影響している。
TOEICも値上がりしてた。
6490円から7810円。1320円の値上がり。
リピート割引は5846円から7150円。1304円の値上がり。
TOEICもスコアアップ目指していて申し込みをしたけど、これも延期のち中止。このときも値上がりしたたんだよなあ・・・(5725円から6490円。765円の値上げ。)
学生等になるべく枠を譲ってほしい、という公式のアナウンスを見て、しばらく見送っている。一応スコアはすでに持っているからね。しかも今は、「抽選申し込み」だもんなあ。
どちらの試験も去年の始めごろに受けようとしてて、コロナの影響が直撃。
なんか仕事とかキャリアに関することが、ことごとく逆らえない厄災に巻き込まれてる・・・
こうも長引くとまた悩む。
TOEICは、半ば私の意地みたいなもの。コミュニケーションの手段としての英語が本来の姿だと思うけど、私にとって英語は暗号解読・・・一方通行みたいなもの。
コミュニケーションを取るのがどうにも下手な私は、英語を使う仕事はかえって危険。もし仮に、これで英語で商談行ってこいと言われたら成立する商談も成立しなくなると思う。
だけど資格欄には記載があるものだから、望んでいなくても派遣会社からはたまにお仕事紹介といって連絡がくる。話を分かってくれたかつての担当営業さんは、別の業務の担当になってしまったらしい。
日本人相手にうまくやれているとは到底思えないのに、別の言語を話す人とはさらにハードルが高い。ウェブ会議ならなおさら、相手の動きも表情もよく分からない。それでも、幅広くいろいろやらせてくれた前職の職場は、本当にいい環境だったと思う。
情報処理技術者試験は、上位資格に進むためにも応用情報は取っておいたほうがいい。
でも、その先私はどの道に進むんだろう?
ネットワークかデータベースあたりが好きだけど、あくまで資格は資格。知識は当然必要だけど、転職市場はやっぱり経験重視。
前職でとてもお世話になったお姉さんに言われたことばが、やっぱり残っている。
自分の価値を高めるためのスキル≒やりたいこと、お金を得るためのスキル、両方持っておくのがいい、と。
必ずしも、前者で仕事が見つかるとは限らない。そのときに、まずは後者で収入を得るようにする。
その人にとっての前者は英語でない言語。そして後者は英語であった。
よく翻訳相談に乗ってくれたその人は、解説もアドバイスも的確で、ほんっとうに英語のスキルが高い。でも、その人にとってやりたいのは、英語ではなくその別の言語。
できること≠やりたいこと。スキルを活かせる枠が少ないから、そこにいないうちは後者で収入を得る。その間もスキルは磨いておく。あっ、できてないなあ。
またお話したいな。お元気だろうか?
景気もそうだし、技術の発展とともに仕事の椅子取りゲームはさらに激しくなっていくと思う。
ニュースを見ていると、がっかりしたり、うんざりしたり、もやもやしたり、そんなマイナスの気持ちになるもののほうが多い。
そんなことより、まずは自分のことだよなあ。
生き残れるように、がんばろう。
壮年ふぇぶの悩み 次の仕事はどうなる
またなんかパロディなタイトルだけど、元ネタと内容は関係ないので注意されたし。
残された時間はあと少し。次の仕事は見つかるんだろうか。
あんまりわがままは言っていられないけど、ようやく自分に向いてる方面にキャリアを積み始めていたのはたしかなのに。
残念ながら、なかなか手持ちのスキルと合う求人がないのだ。他言語でもゼロから学ぶ気概はあるけど、大体は即戦力を求めている。案外、在宅勤務ができるのも少ない・・・
不況になると、失業したとしてもその中の優秀な人から空いた席に埋まっていくから、立派な学歴も職歴もない私はふるい落とされてしまう。いつも正社員というエサをぶら下げられて、あとちょっとのところで届かない。コミュ力が問題だろう、とがんばった直近の職場を退職するとき、時期が悪かったとみんな励ましてくれたけど、言葉通り受け取ってよいのだろうか。
リーマンショックや大震災、そして今回のコロナ禍。そういうタイミングにかち合って失業するのはなぜだろう。
「次の仕事が決まるまで、なるべく落ち込まずエンジョイする」のがブログを始めた目的だ。実際役に立ってくれている。でも、涼しくなってくると不安が前に出てくるんだな。夏を見送る寂しさにくっついて出てくるのだ。
非正規の星の下に生まれたということだろうか。
それとも、このタイミングで何かやるべきことがあるってことだろうか。
退職するときに言われたことばが残っている。
避けても結局、形を変えてまたやってくる。
多くの、やったほうがいいと自覚していることの大半は実はどうでもよくて、できれば避けたいそのことこそが、今やるべきことなのではないか。
だけどそのやるべき、やったほうがいいことは、難しい。私にできるんだろうか?他の人には、ワケのないことかもしれない。だからこそそれは、私の課題なんだろう。
ずっと続けていた日記をやめて、二足のわらじで忙殺されるようになって、気がついたら絵どころか文章も書けなくなったことがある。4年くらい前のことだ。
そのときに比べたらやたら筆が進んでいるように思うけど、でもまだ表に出したいことの核心には届ききっていない気がする。
そうやってもやもやしながら、自分の中の世界だけで考え続けている。
家庭菜園や、多くの趣味、私の好奇心は、私を救うだろうか?
私の中の世界は広がることができるだろうか?
雨の音が好きだ
強い風が吹くこともなく、ただしとしとと雨が降るのなら、その雨の音が好きだ。
白みがかった灰色の空は、カーテンを開ければ十分明るい。照明をつける必要のない、程よい自然の明かりは気持ちを落ち着かせてくれる。午後2時半とはまた違った趣の平和がある。
雨音が聞こえるように、窓を少し開けておく。外の空気が入ってきても肌寒くないのは、こんな時期ならでは。
夏はもう行ってしまった。
こういう雨の日は、午前中が特に似合うと思う。一人静かに過ごすのがいい。
私は基本的に怠惰だから、晴耕雨読に憧れてはいてもどちらも中途半端になってしまう。いわゆる積ん読状態の本たち。秋植えの準備が遅れ気味の畑。旅行と同じで、思いついた瞬間が気持ちのピークなのだ。取りたいと考えている資格も、浅すぎ広すぎの多趣味も、ひとたびやる気欠乏症を発症するとあっというまに置き去りになる。
毎日ランニングをしているご近所さんは本当にすごいと思う。場所が悪いとは言え、ゴミ出しにすらぎりぎりの時間に車で行く私の姿は彼らの目には奇異に映るに違いない。
南の窓辺を眺められるソファに陣取って、辛うじて編み物の手を動かす。半袖のショートカーディガンは、間に合わなそう。来年でもいいかあ、と思えるのは、私の精神が年齢とともに落ち着いてきたからだろうか。
編みながら、おととい見た嫌な夢を思い出しては悩む。忘れたころに繰り返し現れる、表現は違えど同じ状況の夢だ。かつては追いかけられる夢をよく見ていたけど、だんだんと減ってきて今の夢へ。夢にとらわれちまったら終わりだな、と思うから気にしたくはないのだけど、いつもリアル感があってフルカラー音声付き(そうじゃない夢を見る人もいると知ったときは衝撃を受けた)だから、その生々しさが数日は引きずる原因なんだな。
嫌なことに頭の中を支配されそうなときに、複雑な編み図はちょうどいい。ウェアなら減らし目があるから、否が応でもそっちに頭のリソースを回すし、模様編みと減らし目のコンボがくるとそれどころじゃなくなる。
にぎやかな場所へ行けば、嫌なことに引きずられがちな気持ちも紛れると思う。一人でぷらぷらするのは好きだ。だけど、コロナ禍だとそれもはばかられる。休業中だったり、時短営業だったり。地方じゃそもそもお店が少ないし、好きなお店や場所はあっても、今はこれといって行きたいところが思い浮かばない。会いたいな、と思う人たちはいても、これも今の気分じゃない。
今日は静かに過ごす日だな、と思った。
9月1日
学校に行きたくない、といまだに思うこととそれを考えてみる話。
何年経とうと、どれだけ遅起きしていようと、なぜかこういう日にはバチッと起きたりして。なんか久しぶりにちゃんと夫を見送って、まともな気分になった。
なんだかんだ仕事が決まれば、ちゃんと朝は起きられそうだ。
今朝は涼しい。
暦上はすでにそうだとか、気温がやたら高いとか、そんなことはおいといて私の中では9月1日が秋の開始日。大人になってからの悲しいほど短い夏期休暇を体験しても、なぜかこの日はずっと節目に感じる。
いつまで経ってもこの日は、(学校行きたくねえなあ)と言う思いがこみ上げてくる。いい大人なのに。
こういう時期は、こどもの学校に関するニュースが増える。
私にはこどもはいないし、今のところ親になるつもりもないから、実際の親の気持ちは分からない。友だちが少ないし、そもそも結婚している人も少ない。近しい交遊関係の中にもこどもはいない。望む望まないに関わらず。いわゆるDINKSってやつだろうか。だからたぶん、いつまで経ってもこどもの立場の気持ちのままなんだと思う。
こういう立場で「もしも」を考えてみてもあまり現実的ではない気がするけど、もしもこどもの立場の人から学校に行くことについて問われたら、なんて答えるだろう?
あ、いじめというライトな言葉を隠れみのにした暴行・傷害・窃盗等は論外である。ただちに証拠をおさえて警察に被害届を出すべし。間違っても担任だの教育委員会だのに期待してはいけない。
結局は自分自身の経験からものを考えるしかないのだけど、一文にまとめると「すべての状況ひっくるめて向き不向きがあるから行かなくてもいいし割となんとかなるけど、現代を生きていく以上そのデメリットは受け止める必要がある」ってところだろうか。
私はずっと学校が苦手だったし、一時期は保健室登校だった。休むのは絶対許さない、という親だったからね。居場所を作ることができなかった。中、高と似たような過ごし方をして、大学中退。家庭の問題に金銭的な問題に、心が折れちゃったんだな。一人暮らしのフリーターから生活困窮を経て、ずっと非正規だけど暮らしを立て直して多少たくましくなった。若い時のほとんどを余計な苦労に費やした気がするけど、まともに暮らせるようになってからは、大好きな車やバイクを手に入れたり、南の島へダイビングへ行ったり、残された短い「若い時」を急ぎ足で楽しんだ。大人の今のほうが楽しい。こどものころに戻りたい、と思ったことは一度もない。
学校は、勉強だけじゃなくて集団生活を学ぶところ。むしろ後者がメインなんじゃないかってくらい。
地方じゃなおさら、自分に合った学校に変えることはハードルが高い。人間関係だってぜんぜん入れ替わらない。そんな中ではやり直せないし、一度失敗したら居場所を作ることもできない。私の育った町では中学受験なんて聞いたことがなかったし、フリースクールの存在にも気づく機会がなかった。それくらい、そもそもの選択肢が少ない。だから、通っている学校や環境がいつでも自分に合うなんてことはないのだ。
それに折り合いをつけるのも、生きていく上であったほうがいいスキルなのは間違いない。いつだって希望が叶うわけじゃないし、環境や人間関係の悩みは、たぶん一生いつでも起こり得るから。人生の終わり際、老人ホームを想像してみてほしい。ホームにお世話になった場合、そこにあるのはやはり環境と人間関係だ。
ということはつまり、順番にクリアしていくに越したことはないけど、多少は先送りにしたっていいんじゃないかってことだ。
こどもを育てるということは、自活できる人間にするということ。大人になるとは、責任を取れること、自立すること。だから、大人になって自立して生きていけるならそれでいいのだ。私の思う結果オーライとは、この場合これ。
だから、今の環境が合わなくて変えるための選択肢も現実的でないなら、とりあえず行かなくてもいいと思うんだな。
でも、デメリットも心に刻んでおかなければならない。どんな状況であっても、決めたらその結果は自分で受け止めなくてはならない。
逃げるが勝ち、を学ぶ機会だったのか、問題に取り組んで解決するのを学ぶ機会だったのかは、時が経ってからでないと分からない。
先送りにはできても、たぶんいつかはその問題に向き合わなきゃいけなくなることの方が多いだろうから。
環境に合わせる、変える、人間関係の問題を解決する。周りとうまくやっていく。大人になれば、職場では、当たり前にできるものとして扱われる。よほどの特殊能力がない限り、大多数の人は雇われて生活の糧を得る。ブラック企業は当然論外だけど、やっぱり必要なスキルなのだ。
出席しなければ、内申点は下がる。進学やその先に支障が出る。学歴ないとなかなかまともな仕事につけない。まあ、今がなければその先もなくなっちゃうんだけど。生活に困窮したときに心の底から思ったのは、明日の朝飯より今日の夕飯、である。
勉強は自分ですればいい。自分じゃできない、というのならやっぱり学校に行ったほうがいい。塾や家庭教師はお金がかかる。これらほどの丁寧さはないかもしれないけど、まとめて勉強をみてくれるのは、やはり学校なのだ。すべての勉強がはっきりと目に見える形で役に立つわけじゃない。数学の公式を直接使うシチュエーションはたまにしかない。(ホントに、たまにあったりするのだ。)学ぶこと、知ることそれ自体が必要な経験だと思う。義務教育で学ぶべきと定められていることは、ものごとの基本の理屈だから。生きる上で理解しておいたほうがいい道理だから。
「生きているということは知ることなのだ」。うーん、ジパングの名言である。
デメリットと考える必要のないことは、周りにどう思われるか、ということ。どうせすぐ忘れる。他人は案外見ているが、案外見ていないのだ。
大人になってからのほうが、スムーズにいくこともあると思うんだな。あんなに泣いていたのに、今はニコニコしていて友だちも多く過ごしている人を知っている。
私はかなりの余計とも思える苦労をして、大人になってから環境や人間関係の問題に取り組んだ。年を重ねてからのメリットもデメリットもあった。気づいて理解するまでに時間が必要だったんだな。ばっちり分かったかというと、そうでもないかもしれないけど。いまだになるべく人と接しない仕事がいいと思っているし、失敗することも多い。
でも、長い一人暮らしでたくさんの人の厚意があって、自分なりに自立したし、なんとか生きてきたと思う。
人生の次のフェーズに進んだとき、私は自分がちょっとはたくましくなっていてよかったと思った。強くなったから、進めたのかもしれない。どっちなのかは、分からない。
不思議なことに、あのときちゃんと学校に行っておけばよかったな、という後悔は全くない。今戻って学校に行ってみたとしても、たぶん居場所は作れない。より賢く学校に行かない方法を考えそう。
自分の中にある後悔は、例えば「もっとメンタル的にタフでありたかった」とか、「広い視野がほしかった」とか、「とはいえもっと勉強しておきたかった」とか、「今の夫と同じ高校に進学したほうがよかったのかも」とか、つまり今でないと言えないことばかりなのだ。
そのときの選択がどうであれ、これが私の人生のようだ。褒められたような人生ではないけど、選んだ結果を受け止める。
世の中に求めたいこともたくさんあるけど、変えるような力は私にはない。与えられた条件の中でなんとかやっていくしかない。これからもなんとか生き延びていきたい。
【好きな外食チェーン】デイリークイーンの話をしようか
フィッシュバーガーとかつてのショッピングセンターの話。
私は好き嫌いが多い。
克服すべく今もがんばっているけど、割と早期に克服できた好き嫌いのひとつ、白身魚のフライ(※骨なしに限る)を食べられるようになったのは、デイリークイーンのフィッシュバーガーが最初だった。
遠いとなり町の、小さなショッピングセンターの1階にあったデイリークイーン。店員さんは、色白でクールな感じの女性と、身体の大きな男性の二人だった。
それまではポテトくらいしか食べられるメニューはなくて、もっぱらソフトクリームを食べるお店だった。チョコスプレーのたくさんかかったソフトクリームを注文して、いつも(なんか違うな・・・)と思いながら食べていた。チョコはとろけてほしかったのに、チョコスプレーはとろけないのだ。今思えば、ノーマルソフトクリームかチョコソフトでも頼めばよかったのだけど、当時はあのチョコスプレーの誘惑に勝てなかったんだな。
フィッシュバーガーをなぜ食べたのか、どんなきっかけだったかは覚えていない。
ただ、初めて食べた小学校高学年くらいのときに、あまりのうまさに感動した記憶はある。
デイリークイーンのフィッシュバーガーの何がよかったかって、キャベツの千切りが入っていたこと。
キャベツの千切りがふわふわでたいへん素晴らしかったわけ!
揚げ物にキャベツの千切りを添える理由がそのときわかった。つけあわせはこれ以外あり得ないと。消化にもいいんだよね!
クセのない白身魚のフライは、私にはとても食べやすかった。キャベツの甘みと、タルタルソースのすっぱさ。いわゆるソースもかかっていたような気がするけど、なんせ20年以上前のことだからそこまでは覚えていない。
狭いイートインコーナーで、壁側に陣取って道行く人たちを眺めていた。
たまに連れて行ってもらったこの小さなショッピングセンターの一番の楽しみだった。
幼きころは、屋上から出ているアドバルーンに何故か憧れていた。ファンシーグッズがたくさん売っていて、幼い私の心を鷲づかみにした。同じフロアには本屋さんもあって、そこでよく本を買った。ここで買った、中高生では訳に立たないとある本は、高校進学後クラスメイトも偶然その本を持っているといって話すきっかけになった。その本屋さんの隣にはゲーセンも入っていて、バージョンは違えど好きなゲームも置いてあった。
内装は白で明るく何でもあるショッピングセンターは、私の中では憧れの場所であった。
高校生になって、電車に乗るべく毎日その町までバスで出るようになった。バスの定期券は私とその町をとても近くした。
だけど。
放課後に飽きるまで食べられるな、という私の目論見は残念ながら失敗に終わった。デイリークイーンは閉店してしまったのだ。
ここまで来る自由をようやく手に入れたのに。
生き物系の好き嫌いを克服した初めての食べ物だったのに。
近隣の店舗も知らない。
閉店するって、せめてもっと早く知っていれば・・・
高校は、そこから更に電車で30分以上揺られて行く。
(私の中ではピカイチで都会の)大きな町だった。
駅周辺にはショッピングビルが複数あって、通りを歩く人の数もはるかに多かった。欲しいものは、さらに手に入りやすくなった。品揃えのいい画材屋さんがあった。おしゃれなカフェもあった。本屋さんはもっと大きなものがあった。
デイリークイーンはなかったけど。
かつての憧れの場所は、だんだんと遠くなっていった。
数年前、その中に100均があると知って行ってみた。
久しぶりだしあのショッピングセンターに行こう。懐かしさもあってワクワクしながら行った。
そういえば駐車場って裏側にあったよなあ、なんて思い出してそこへ止めた。
中に入って、あまりの変わり様に愕然とした。
全然人がいない。店員さんもみかけない。
照明は古い蛍光灯で薄暗い。
空になったテナントスペース。
お手洗いのそばから見えるバックヤードには、見覚えのある什器が押し込まれていた。
わずかに残ったお店もかなり変わっていて、かつての面影はなかった。
人が行かなくなった理由を私はよく知っているはずなのに、とても悲しくなった。自己中なことこの上ない話である。
それからほどなくして前の道を通ったとき、そのショッピングセンターが取り壊されることを知った。
それを見て、デイリークイーンに行きたくなった。あのフィッシュバーガーを食べたい。
近くにないのは知っていたけど、どこだろうと今の私なら行ける。なんとか自立してたくましく生きている。大好きな車に乗っている。愛車でドライブ、最高じゃないか。バイクでDQツーリングでもいいんじゃない?
ネットで調べて、ショックは重なった。
デイリークイーンはあのとき日本から撤退していたのだ。
知らなかった。
撤退していたなんて。
リビングに行かないということは、テレビを見ないということ。テレビには今も興味はないけど、新聞も取っていないあの家では世の中の出来事に疎かった。
惜しくもあのときの一口が最後になってしまった。しかも閉店するなんて知る前の春。もっと味わって食べるべきだった。今さら言っても遅いけど・・・
飽きるまで食べたかった。
もう国内では食べることができない。
アメリカ圏内はあるようだけど、グアムにはないらしい。ダイビングついでに寄る、ということも叶わない。そもそも味は一緒なんだろうか?だいぶ記憶から薄れてしまっているけど、別物が出てきたらがっかりしてしまうだろう。
思い出の味も思い出の場所も、もうない。
もう一度あのフィッシュバーガーを食べたい。心ゆくまで。
デイリークイーンさん、いつ戻ってきてくれてもOKですぞ!
夏の終わりの月
やっぱり思い出すのは、20年前の夏休みである。
迫りくる二学期に震えながら、昼夜逆転生活を直せずにずるずる過ごしていた。
夏の始まりにじーさまにもらった古くてデカいラジオは、使い方がよく分からずFMしか聴けなくて、あげくどこか身体で触れていないとうまく受信できなかった。
デカすぎて置き場に困りながらも行儀悪く足置き場にすることで解決し、そんなポンコツラジオを深夜に聴くのを楽しみにしていた。
当時新曲で出たばかりの「波乗りジョニー」がお気に入りで、パケット代を気にしながらよくリクエストを送った。DJにラジオネームを読み上げられたときはうれしかったなあ。
そのときは単純にメロディとピアノの音が好きだった。私の耳の処理能力のせいか、歌の歌詞を聞き取るのがすごく苦手だから、あまり歌詞には気が及ばなかった。
こんな8月の終わり。
開けっ放しの窓から入ってくる夜風がより一層ひんやりしてきた。山の夏は短いのだ。鈴虫の鳴き声が聞こえる。
夏休みが終わるなあ・・・やだなあ・・・と思いながら窓の外の空を眺めると、もわもわ雲の後ろにぼんやりとした月が出ていた。おぼろ月ってのは春の月だったような気がするなあ・・・音楽の授業で聞いた気がする・・・そこまで考えて気がついた。ラジオで流れている波乗りジョニーは夏との別れを惜しんでいるのだ。「月はおぼろ 遥か遠く 秋が目醒めた」と。「同じ波はもう来ない」のと同じように、同じ夏も二度と来ないのだ。
そのときとおんなじ月が見える。雲でかすんでぼんやりしているその月は、夏らしくは見えない。なんとなく、深夜になっても起きていることに罪悪感を覚え始める。夜ふかしをしたくてしていたあの日々も、眠れない今も、実際のところは同じである。
もうすぐ夏が終わる。
どれだけ残暑厳しく日中の気温が高くとも、もう空は夏に別れを告げようとしている。
暑いのがきらい、たいした思い出もない、夏らしいよい思い出は大人になってからの数えるほどしかないのに、それでも夏が去っていくことに気づくとさびしくなる。
あと何回夏が来るだろう?